前々回の記事で少し書きましたが、「乾貨」に関心を持ち始めたばかりの20代前半の頃、佛跳墙にも興味が湧いて、その作り方や由来などを調べていたことがありました。

 

結局、本場といわれる福建の佛跳墙を食べる機会がなかったので、いつしか佛跳墙熱は冷め、現在まで続く江南料理熱に変わることになります。

 

その頃私が勤めていたホテルの中国料理店には「迷你佛跳墙」というメニューがありました。


()()」とは中国語で「ミニ」の当て字。つまり小さいという意味で、私が今回福州で食べたものと同じように、1名分ずつに分けた状態で作るタイプのものです。

 

具材は覚えているだけで、フカヒレ、ナマコ、魚の浮袋、干し貝柱、豚のアキレス腱、金華ハム、鶏肉、花椎茸、広東白菜、枸杞の実などが入っていました。特別予約の際にはそこにすっぽんを加えたりすることもあったと思います。

 

これらの材料それぞれに適した下処理を行い、しっかり水気をとったら均等に器に入れていきます。


あとはチーフが紹興酒の風味を効かせた「頂湯」(ひね鶏や金華ハムなどでとった高級スープ)を器に一つずつ注ぎ入れ、ラップで密封してから数時間セイロで蒸しあげて作っていました。

 

面白い謂れのある、とても贅沢なこのスープ料理に興味をひかれ、あれこれ調べてみると本や資料によって材料も調理法も統一されておらず、一体どれが「本物」なんだろうという疑問が湧いてきました。

 

今となってはそもそも何をもって「本物」とするのか?という問題もありますが、あの頃はとにかく「本物」が知りたくて、まだ覚えたてのインターネットも使って、手あたり次第調べていたのです。

 

ちょうどその頃、私は『中華満喫』という本と出合います。南條竹則さんが著されているいくつもの中国料理系の読み物のなかで、私が初めて手にした南條さんの本です。


前回の「佛跳墙のこと(1)」でも引用させてもらっているように、この本のなかに「佛跳墙」の事が書かれていて、そこで初めて「聚春園の鄭春発」という人が作った料理である事を知りました。

 

当時私の手元にあった本(『新 中国料理大全(三) 広東料理』)には、勤め先とは違い、くずびきする作り方が紹介されていて、これを作っているのは広東省にある「南園酒家」というお店で、「聚春園」ではありませんでした。

 

『新 中国料理大全』の中の佛跳墙。

 

『中華満喫』によって、「聚春園」の存在を知った私は、ある日、聚春園の資料がないかと思い、神田神保町の「悠久堂」(料理書に強い古書店)に向かいます。

 

ここでは以前から度々、『中国名菜譜』や『中国名菜集錦』といった当時はまだ買うことが出来なかった値の張る中国料理書を店のおじさんに頼んで立ち読み(ほぼ座り込み)させてもらっていたのです。

 

この日、悠久堂で『中国名菜譜』の「南方編」に、それはそれは丁寧なレシピとともに佛跳墙(本の中では元の名前である「福寿全」という料理名)の作り方が紹介されているのを発見したときは感激でした。しかも担当料理店が「聚春園」だったのです。

 

『中国名菜譜』とは中国の国家指導の下に1950年代末から60年代にかけて出版された全11巻のレシピ集で、今読んでも目からうろこだらけの非常に価値のある素晴らしい中国料理書です。日本では1970年代に中山時子訳のものが柴田書店から全五巻で出版されています。

 

『中国名菜譜』と『中国名菜集錦』


『中国名菜譜』の中の佛跳墙(福寿全)のレシピ。


担当料理店には「聚春園」の名が。

 

 

今回、福建出身の同僚からも伝統的な佛跳墙について教えてもらったところ、以下の話しを聞かせてもらいました。

 

1.基本的な具材はフカヒレ、魚の唇、ナマコ、干し貝柱、干し鮑、浮き袋、花椎茸、鶏や家鴨の砂肝、豚の胃袋、豚や鹿のアキレス腱、新鮮な墨烏賊、大根、たけのこ、鳩の卵、など

 

2.ベースとなるスープの材料は丸鶏と家鴨、スペアリブ、豚足。店によっては羊や牛を入れる場合もある。それぞれをブツ切りにしたら下茹でしたのち、醤油で炒めてから水と福建老酒を加えて煮込む。この時に八角や桂皮も加える。

 

3.濾した2のスープと戻した乾貨を大きな甕に入れて数時間煮込む。鳩の卵や大根は後から加える。

 

4.煮込み終わった3を小分けにして、蒸しなおしたものが今回私達が食べたもの。

 

5.具材に明確な決まりはなく、お客さんの予算に合わせて変えてよい。(例えば豚のアキレス腱の方が、鹿のアキレス腱よりも安いなど)

 

6.2で残ったガラやスープに白菜を加えて煮込んだものは地元の食通が好んで食べるそうで、大きな宴席の場合、最後にこの白菜煮込みを供する。

 

具材やベースとなるスープの材料、おおまかな作り方は『中国名菜譜』の内容と重なる部分も多く、発祥の地とされる福州式の作り方は醤油や八角が使われていることや、煮込んだあとに蒸して供する場合もあること、くずびきはしていないことなどを今回の旅行で確かめることが出来ました。

 

 

 

福建人の同僚の前職場。冬の宴席に佛跳墙は欠かせないそうです。

 

 

福州式以外だと当時私が調べた本に載っていたものには以下のようなものがあります。

 

1.前述の南園酒家(広東省)

広州料理と潮州料理の二つの菜系の料理をウリにするこの店の佛跳墙は『中国料理大全(三) 広東料理』(小学館)と『中国名菜集錦 広東(一)』(主婦の友社)の二つの本で紹介されていますが、二つの本では使用する食材の種類が同じではありません。

 

潮州は福建省に隣接するため、福建の佛跳墙に潮州風味を持たせていることが『中国名菜集錦』の中では説明されており、『中国料理大全』の内容からはとろみつけをしていることがわかります。

 

現在でも「迷你佛跳墙」(とろみなし)と「金汤佛跳墙」(とろみあり)という二種類の佛跳墙が南園酒家のメニューには載っていますが、食材は安価なものに変わってしまっている印象です。


広大な園林のなかにあるお店自体が観光地のような、薄利多売の大型店になってしまっていることが関係ある気がします。2017年に飲茶を食べに行ったときは凄い混雑ぶりでした。

 

この店で本の中に紹介されているような佛跳墙を食べるには、予約時にしっかりとしたコミュニケーションを取ることが必須だと思います。

 

1982年出版の『中国名菜集錦』の中で紹介されている南園酒家の佛跳墙。クラシックな感じが渋くてシビレます。写真のようなものが現在でも食べれるのかは分かりません。

 

2.釣魚台國賓館

釣魚台國賓館美食集錦』(主婦と生活社)という本の中で紹介されている佛跳墙もとろみのあるタイプです。釣魚台國賓館とはその名の通り中国の迎賓館であり、そこにある「養源齋」は各地の名菜をブラッシュアップさせた「釣魚台菜」を綺麗な食器とともに提供しています。

 

ここの佛跳墙の主な材料は、フカヒレ、ナマコ、浮き袋、鹿のアキレス腱、鮑、すっぽんのえんがわ、干し貝柱、干し椎茸、鳩の卵と出汁用の鶏、家鴨で、煮込んだ後に紹興酒と塩で味付けをしたあんをかけて仕上げています。

 

釣魚台國賓館の佛跳墙。塩味の仕上がり。

 

 

佛跳墙の名前はその特徴的な由来も手伝ってか、福建省以外にもそれをウリにする店が現れました。


福建とは何かと縁のある台湾には、1950年代までには伝わっていたと『中国料理の世界史』には記されています。


その後も隣の広東省、香港などで、その土地の食材やお客の嗜好に合った佛跳墙が生み出され、人気を博していたようです。

 

『中華満喫』の中では、南條先生自らが台湾の「福園」という店で食べた「赤目」(たぶんタロイモのこと)入りの佛跳墙が逸品であったことが書かれています。

 

更に最近では「宮廷風味」を謳う「黄焖佛跳墙」(ひね鶏やアヒルをメインに煮出した濃厚な白濁スープを使い、くずびきしたもの。南園酒家の「金汤佛跳墙」もこれの仲間)や「鲍汁佛跳墙」(干し鮑の煮汁風味)といった明らかに後発の佛跳墙も目にすることがありますが、それらの殆どは表面上の豪華さばかりを謳っていて、料理としての深みが無いように感じてしまうので食べてみる気になりません。

 

 

『中国的味道』というエッセイ集の中で、著者の小寛という美食作家の方が、〈これまで各地でたくさんの佛跳墙を食べてきたが、そのほとんどが大げさな見せかけで供される、ただの壺であった〉と皮肉たっぷりに書いています。


面子を重んじる中国人は、ホストとして食事にお客を招いたとき、「(yìng)(cài)」と呼ばれる見た目や食材の豪華さが際立ったものを一皿二皿出して自分の面子を潰さないようにします。


各地の佛跳墙は往々にしてそのような目的のためだけにテーブルに上がり、濃厚なチキンスープのなかに小さな鮑、小さなナマコ、牛筋、何とも言えないフカヒレが入っているだけで、それらの殆どは笑い話にしかならないと辛口に評しているのです。

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今回の福建旅行で最終日のお昼に訪れたレストランは、ネット上の佛跳墙ランキング1位のお店でした。


一人前159元(約二千七百円)で聚春園の予約がいらないものと比べても半額以下の価格です。


出てきた佛跳墙はというと、鳩の卵には()(が入っていて、乾貨の戻し加減もイマイチ。冷凍されているものを蒸して出しただけの味気ないものでした。


その金額から、聚春園と同じレベルのものを期待した訳ではありませんが、結果的には金額通りのもので、コスパという意味では聚春園のもののほうが遥かに良かったと感じました。


ここはそれ以外の料理も比較的リーズナブルで、福建の名物料理が一通り揃っているので、若いネット世代の人たちには歓迎されているのでしょう。店内はとても賑わっていました。

 

 

このお店は福州市内に何店舗か展開しているチェーン店でした。

 

二日間で出来の良いものとそうではないもの、二種類の福州式佛跳墙を味わえたのは、むしろ良い経験となりました。

 

コロナが終わり、以前のように日本との往来が自由になったら、日本の料理人仲間を誘って聚春園の大きな壺に入った10名分の佛跳墙を食べに行きたいなと思っています。

 

おわり