(2)日本の「トンポーロー」と杭州の「東坡肉」

 

縁あって、「トンポーロー」と出会えたことで、私はあっという間に中国料理の虜になってしまいました。

 

私の青春時代、傍らには常にバスケと中国料理がありました。(どんなやねん!)

 

ちょうど、あの周富徳さんが一世を風靡されていた時代とも重なり、テレビでは結構中国料理の情報が流されていました。

 

ここから中学校卒業⇒調理師学校入学⇒就職となり、修業中の19歳の頃、上海出身の現在の妻となる人と出会います。

 

そしてその頃、私には「トンポーロー」に関して、一つ引っかっている疑問がありました。当時はまだインターネットが普及する前でしたから、中国料理の知識というのは基本的には「本」または職場の先輩から直接教わるものでした。

 

当時、私が中国料理の専門書として持っていた本は、買ったばかりの柴田書店の『プロのためのわかりやすい中国料理』と、小学館の『新 中国料理大全(1~5巻)』でしたが、『新 中国料理大全』の2巻<上海料理>編の中で紹介されている「東坡肉」と、当時勤めていたお店で出していたものや、永安楼、程さんの本の中のものも含め、日本の中国料理界で「トンポーロー」と呼ばれているものとは、その見た目も作り方も明らかに違っていたのです。 

 

『新 中国料理大全』の中の「東坡肉」

 

そんなある日、勤め先のお店で「トンポーロー」として売られているアレは、「東坡肉」ではないと言う中国人留学生のアルバイトの言葉が耳に入りました。

 

その人は浙江省杭州出身の女性で、「東坡肉」は彼女の地元の料理であると。そして、地元の「東坡肉」は「この店で売られているトンポーローとは違う」と言っていたのです。


なんだって!?やっぱりそうだったのか。

 

妻(当時はまだ結婚していません)と付き合い始めて数か月が経った頃、妻の帰省に合わせて一緒に上海に行くことになりました。待ちに待った人生初中国です。私は妻に頼んで、上海から杭州への日帰り小旅行を組んでもらいました。


目的はただ一つ、本場で「東坡肉」を食べるためです。

 

この時の上海と杭州で食べたいくつかの料理は、今に至るまで私に大きな影響を与えてくれましたが、ここでは割愛し「東坡肉」の話しに絞ります。

 

今、中国は日本以上にIT化が進んでおり、日常生活において現金を必要とすることがなくりました。鉄道のチケットも全てスマホ決済で紙の切符も必要ありません。

 

ですが、今から約20年前、正直に言って社会としての成熟度が現在ほどではなかった上海では、鉄道の駅でチケットを買うのにも、ちょっと命懸けなところがありました。


上海や北京、杭州など都市部の「火车站」(鉄道の駅)は駅といっても日本の駅とはスケールが違います。空港といった方が近いと思います。

 

2019年の杭州東駅。この時はまだ誰もマスクをしていない。

 

そしてチケットを販売する窓口には大勢の人が群がり、誰も列を成さず、背が大きいとか力の強い人がどんどん割り込んできて、全員グッシャグシャになりながら死にもの狂いで買っているのです。

 

窓口のおばさんはその姿をあざ笑うかのように、チケットとお釣りを投げ渡してきます。今思うと懐かしい光景です。

 

話がそれましたが、私も腰を落としてその群衆の中に突入し、何とかしてチケットを手に入れ、午前中のうちに杭州につきました。

 

柳の葉がしだれる西湖の畔を散策し、「東坡肉」の生みの親といわれる蘇東坡の立像も見ました。


やっぱりここが本場なんだな。胸が高鳴ります。

 

いよいよ昼食どき、西湖からほど近い、今となってはそれがどの辺りだったのか思い出せませんが、地元料理を売りにしていそうな一軒の食堂に入りました。


「東坡肉」の他には、同じく杭州名菜の「西湖醋鱼」(茹でて火を通した草魚に黒酢の甘酢あんをかけた料理)などを注文しました。

 

しばらくして、茶色の小さな素焼きの壺に入った「東坡肉」が二つ、無造作に運ばれてきました。

 

蓋を開けると、んー、なんだかなぁ。


初めて見た本場の「東坡肉」は、今でいう「映え」のしない感じであったと思います。食べてみても脂身ばっかりで美味しいとは感じませんでした。

 

こんなものか…。これなら日本の方が美味しいや。

 

何とも残念な体験でしたが、とりあえず、本場では『新 中国料理大全』の作り方の通り、正方形に切られていることと、日本の作り方のように揚げてはいない(見た目でわかります)ことが分かりました。そのあとは龍井茶の茶畑なんかを見て回り、夕方の電車で上海に戻りました。

 

しかし翌日の夜、奇跡が起こります。

 

上海で妻の幼馴染とその彼氏が、私達二人を食事に招待してくれることになっていたのですが、招待されたその店も、まさかの「杭帮菜馆」(杭州料理レストラン)だったのです。

 

「桂花糯米藕」(蓮根の穴にもち米を詰め、金木犀のジャムと共に甘く炊いた前菜)や「龙井虾仁」(淡水の海老のむき身を龍井茶風味に炒めたもの)、「干炸响铃」(広げた湯葉に肉餡をのせ、くるくると巻いてから揚げたもの)など、初めて食べる杭州料理の数々のなかに「東坡肉」もありました。

 

龙井虾仁

 

この日の「東坡肉」は昨日のような一人ずつの壺ではなく、大皿に一緒に盛られて出てきたので『新 中国料理大全』の中の写真と同じスタイルです。


卓上に供された「東坡肉」はひと目見るからに昨日のものとは違う「品」のある佇まいでした。

 

綺麗な正方形に切られ、艶やかで、深い棗色に煮込まれたその「美味しそう」な見た目の印象は、今でも私が「東坡肉」を作るたびに思い出し、目指している姿となっています。

 

食べてみると味まで昨日のものとは違いました。プルプルに煮込まれた皮のコラーゲン感と、脂身と赤身のバランスの良さ、そして何よりも甘口にこってりと煮込まれた濃厚な美味しさに感動しました。

 

これが「東坡肉」の美味しさなんだ。

昨日はただ単に入る店を間違えたんだ。

 

中学生の時以来、勝手に想いを寄せ続けていた「東坡肉」に、昨日は裏切られた思いでしたが、そんなことはありませんでした。

 

本場とされる杭州で、入る店を間違ってしまったばかりに、危うく本場の「東坡肉」は大した事はないと決めつけてしまうところでした。今はカナダに暮らすこのカップルに心から感謝です。

 

そして、やはり日本の「トンポーロー」と、本場とされる杭州風の「東坡肉」には大きな違いがあることも確認できました。

 

当時のその違いを思い出し、下の表にまとめました。内容はあくまでも私個人の経験に基づくものです。

 

 

でもこの表、そんなに見当違いな事は書いていないと思います。

 

そして、この違いはもはや、別の料理と言ったほうが良いとさえ思うのです。例えるならビーフカレーと牛の赤ワイン煮。 主材料が「皮付きの豚バラ肉」であること以外、見た目、調味料、調理法、そして香辛料や付け合わせの有無においてすべて異なります。当然その味にも大きな違いが生まれます。

 

中でも、この二つの料理における最大の違いは「紹興酒」の使い方にあります。

 

杭州の「東坡肉」は、その作り方において、「以酒代水」ともいわれるように、水の代わりに多量の紹興酒を用いて煮込みます。私の現地の調理場を見た経験では、全てが紹興酒に代わる訳ではなく、水と紹興酒が半分半分といった感じ。それでも両手に紹興酒の瓶を持ってドボドボと何本も入れるのにはびっくりしました。

 

そして、この紹興酒が豚肉と一緒に何時間も煮込まれることによって、日本の「トンポーロー」にはない、深みのある芳醇なコクと香りが生まれます。

 

どちらが美味しい、どちらが好き、というのは人それぞれの好みなので比較はできません。ですが、これだけ違えば、杭州出身のあの留学生が「違う」と言ったことも頷けます。

 

現在の東京では、私の知る限り、この両者の中間の作り方(例えば下茹でした後に揚げてから「煮込む」とか、杭州風同様に、正方形にカットした後の煮込むベースが「トンポーロー」風の味付けであるなど)が行われているお店も増えてきていますが、純杭州風の作り方で提供しているお店はまだ多くありません。

 

私はこの中国旅行で、13歳から「東坡肉」だと思って食べたり作ったりしていたものが、本場とされる杭州では別の姿であったことを身をもって知ったのでした。

 

この時点では、東坡肉という名前は「東坡さんという昔有名だった偉い人に由来する」ことくらいを除き、それ以外の蘇軾についての事や、東坡肉にまつわる詳しい故事などは殆ど知りませんでした。


それらの事について知るようになるのも、この中国旅行を通して、中国料理の技術だけではなく、中国の食文化や歴史についてももっと知りたいと思うようになったからです。

 

続く…