(1)トンポーローとの出会い

 

中国料理の有名なものに「东坡肉 dōngpōròu」(トンポーロー)という名の料理があります。


いわゆる豚の角煮の一種であり、中国で広く食べられている「红烧肉 hóngshāoròu」(豚肉の醤油煮込み)の仲間です。

 

杭州風の「東坡肉」

 

「東坡肉」の名前は、北宋の政治家であり、文人、そして自らを老饕(食いしん坊)と称した蘇東坡(蘇軾)という人に由来します。(蘇東坡の詳しい紹介は次回以降に)

 

最近、日本でも「トンポーロー」という中国語音のメニュー名が浸透してきた印象ですが、以前は「豚三枚肉の蒸し煮」とか「皮付き三枚肉のうま煮」「皮付きバラ肉の醤油煮込み」などと表記されることが多かったと思います。

 

北京ダックやフカヒレスープと同様に、中華料理店というよりは「中国料理店」のメニューに登場する料理です。特に、日本の中国料理店では、北京、広東、上海、四川の四大流派の内「上海料理」を謳っているお店のメニューに多く登場します。

 

今回、なぜ「東坡肉」がテーマなのかというと、理由が二つあります。

 

1つは、私が中国料理の道を志すきっかけになったのがこの料理であり、とても思い入れのある料理だから。

 

2つ目は、最近日本から取り寄せた本で「東坡肉」について衝撃の事実を知ってしまったから。この事実を知る前は、思い入れのある料理なので、もう少しブログに慣れてきてからじっくり、大切に書こうと温めていたネタでした。

 

しかし、この事実を知ってしまったからにはいても立ってもいられずに、今回記事にすることに決めました。

 

んー、今回も長くなりそうです。

 

まずは、私と「東坡肉」の出会い=料理人を志すに至った経緯を書かせてもらいます。

 

※ここから先の文章は、日本における東坡肉を「トンポーロー」と表記し、中国における、また中国式の東坡肉を「東坡肉」と表記することにします。

 

子供時代、私は東京都下の羽村(はむら)というところで生まれ育ちました。父は埼玉の人で、父方の実家は鶏卵農家を営んでいました。家には、埼玉から運ばれてくる新鮮な卵や、泥のついた野菜がいつもたくさんあったので、母はそれらを使って野菜の滋味たっぷりの料理を拵えてくれました。

 

今思いだすと、なんて幸せな事だったのだと思いますが、子供だった私は、うちのご飯は薄味の野菜料理ばっかりで、味噌汁も具ばっかりで、なんかパッとしないんだよな、といつも思っていたのです。(ごめんね母さん。大人になってからは実家に帰る楽しみの一つはおふくろの味です。)

 

そんな子供時代の私にとって、一番のごちそうは 

 

1.母の気分によって、年に数回、近所の「大来軒」から出前で取る「チャーシューメン」。

2.ラーメン好きな母方の祖父が、たまに羽村まで遊びに来てくれた時に連れて行ってくれる「大来軒」の「チャーシューメン」。

 

…。

 

小学生の頃、一杯550円だったものが途中で600円になったと記憶しています。

 

今でも「チャーシューメン」は大好物です。中国では気軽に美味しい日本風のラーメンが食べられません。(写真は大好きな横浜の維新商店のもの。大来軒のチャーシューメンの写真が無くて残念。)

 

この世で一番おいしいものは「チャーシュー麵」だと確信した私は、小学生高学年になると、自転車で駅向こうの肉屋さんまで「鶏ガラ」を買いに行き、「大来軒」のカウンター越しに学んだ、おじさんのラーメン作りの真似事をするようになりました。

 

消防士だった将来の夢はいつしか「ラーメン屋さん」にとって代わられ、図書館や町の本屋に行ってラーメン作りの勉強をしている小学生でした。

 

そんな私が中学に上がり、何かの用事で父親に横浜に連れて行ってもらう機会がありました。中学1年生の時です。

 

私はせっかく横浜まで来たのだから、まだ行ったことのない中華街に行って「本場のラーメン」を食べたいとせがみました。ラーメンの道を志す者として、本場のラーメンも食べておかねばと。

 

そうして人生で初めて、横浜中華街を訪れることができました。なんの下調べもなかったので、どこのお店で食べようかと料理サンプルが展示されているショーケースを見ていると、キラリとひと際輝いて見えるサンプルに目を奪われました。

 

料理名のプレートを見てみると「東坡扣肉 皮付き三枚肉の蒸し煮」と書かれています。

 

当然何のことか分かりませんが、私にはそれが分厚いチャーシューにしか見えなくて、これはチャーシューの王様だと思いました。父に頼んでこの店に入り、その料理と、他にも春巻とラーメンを注文したのを覚えています。

 

しばらくして、その実物がテーブルに運ばれてきました。

 

おー美味そう!

 

そして、分厚い肉の塊を一口食べた瞬間、私はその美味しさに度肝を抜かれてしまいました。

 

とろっとろに柔らかい脂身はすぐに口の中で溶けてしまい、肉もホロホロで独特の香りがある。一瞬で世の中の美味いものランキングが更新されました。1位がメインの分厚い肉で、2位が甘辛いタレが絡んだ付け合わせのほうれん草に。

 

人生で初めて食べた本格的な中国料理。そして初めて食べた「東坡肉」。大来軒のチャーシュー麵だって美味しいけれど、世界は広いと知ったのでした。

 

このお店は今は無くなってしまいましたが、中華街の正門(善隣門)から入ってすぐの左手にあった「永安楼」というお店です。これが私と「トンポーロー」の出会いでした。

 

1994年に出版された『横浜中華街完全ガイド』の中に紹介されている永安楼の「トンポーロー」。あぁ懐かしい。

 

家に帰った私は、さっそく図書館に向かい、程一彦さんという方が書かれた、主婦向けの中国料理書の中に「トンポーロー」の作り方が載っているのを見つけました。


即借ります!

 

もうそれはそれは、本に穴が開くとはこのことかというほどに、何度も何度も読みました。返してはまた借りるを何度も繰り返しました。

 

本の中には「東坡肉を食べずして中国料理は語れない」との一文があったのを覚えています。中学生の私は、まだ一度しか食べたことのない中国料理を、その一度が「トンポーロー」だったことによって、それを語る資格まで手に入れてしまったと興奮していました。馬鹿ですね。

 

本を見ているだけでは満足できず、作ってみたいという欲求が出てきます。程さんの本の中では皮無しの豚バラ肉が材料でしたが、永安楼で食べた「トンポーロー」は皮付き肉でした。でも「皮付き」の三枚肉というのが近所のスーパーには売っていません。

 

自転車で行ける限りのスーパーを回り、ようやく見つけたのが、隣町に有った業務用スーパーでした。確かアメリカ産の皮付きバラ肉のブロックだったと思います。他に必要だったのが八角などの香辛料。これも業務用スーパーで手に入りました。

 

という訳で、程さんの本を見ながら(作り方はほとんど頭の中に入っていましたが)、肉だけは皮付きのものにアレンジして、その通り作ったら、なんとまぁ美味しい「トンポーロー」が出来上がりました。母親に褒めてもらい気を良くした私は、ラーメン屋さんから中国料理の料理人へと将来の道を方向転換することになったのです。

 

この翌年、新横浜に「ラーメン博物館」がオープンし、大変な人気を博しました。今思うと、ラーメン博物館があと一年早く開業していたら、私は中華街ではなくて「ラーメン博物館に行きたい」と言っていたと思います。だとしたら「東坡肉」との出会いもなく、それから約30年の私の人生は全く別のものになっていたのかもしれません。

 

続く…

 

コロナが猛威を振るい始める約半年前、たぶん20年以上ぶりに母と二人で羽村の大来軒に行きました。

昔は赤い大きな看板だった気がしますが、色々リニューアルされていました。

おじさんはもう亡くなっていて、跡を継いだ息子さんの代になって、担々麺を看板メニューにされたそうです。とても美味しかったです。