「草食系」 と呼ばれる男性陣。
ガツガツしていない。
女性と子孫を残す活動に非積極的。
本家、野生の草食動物は
種の保存の活動はしっかりやっているようですが、
人間の男性はその点
あまり大丈夫ではなくなりつつあるようです。
そして同時に、結婚をせずに
40代、50代へと突入する男女の増加。
これは、結果的に
人と裸になって関わり合う覚悟 が持てない人が
増えているということではないかと思います。
文字通り服を脱いで裸になる、ということもありますが
精神的にも他人にプライベートな部分を見せ
突っ込んだ関係を持つという意味でもあります。
人と関わるのは、面倒です。
とくに、思考や言動パターンが異なる
異性と関わるのは大変です。
突っ込んだ関係を持てば、当然ですが
批判、干渉、否定などを受けることもあります。
精神的に浮き沈みも激しいし
うっとうしいと思ったり思われたり
傷つけられたり、傷つけたりします。
その面倒さを感じれば感じるほど
面倒である=メリットよりデメリットが高くなり、
誰かと 「深い仲」 になることに
価値を見い出しにくくなります。
結果、お付き合いを始めることや
結婚など 「この人とずっとやっていく」 という覚悟が
なかなか決められなくなるのです。
20歳前後の 「やりたいホルモン」 ピーク時に
ナニを経験するのが「普通」だったり
結婚をするのが 「当然」 だったりした時代は
その社会的プレッシャーによって
多くの男女がシステマチックにくっつき
とりあえず何とか一緒にやっていくしかない
環境がありました。
これは、会社に入ってお給料をもらっていれば
少々気が合わない人とでも
なんとか折り合いをつけてやっていくしかない
というのに似ています。
収入への欲求 → 異性への欲求
会社での責任 → 社会的な責任
仕事上の付き合い → パートナーとの付き合い
に置き換えると分かりやすいかと思います。
そして、やっていくしか選択肢はないので
とにかくいろんな努力をして
関係を継続、できれば発展させようとします。
男女の関わりが淡白なまま年を取るということは
この 「成り行き上の必然的努力」 を
しないまま生きてきたということです。
努力をする必要がないので、独り身は楽です。
しかし、何事も一長一短。
それまで楽な人生を歩んできたひとの多くが
人生の後半に入ってから不安に苛まれます。
不安。
心の拠り所が定まらず、安心できない状態 です。
なぜ心の拠り所が定まらないかというと
自分がよく見えないから です。
自分というのは、鏡に映してこそ見えるもの。
他人というのは、自分を知るための鏡であり
だからこそ、突っ込んだ付き合いは貴重です。
突っ込んだ付き合いならではの
批判、干渉、否定を受けることによって
「自分とは何なのか」 を
いろいろな方向から考えさせられます。
それこそが、誰かと深い仲になることの
最大の意義だと言えます。
さらに、自分というのはそう簡単に
全体を把握できるものではありません。
山あり谷ありの中で
誰かと時間をかけてガッツリ格闘していくことで
深く広く、自分を知ることができるものです。
結婚したり、子供を持つということは
この 「誰かと長くガッツリ」 ができる
理想的な環境なのです。
結婚とか親にならなければ
自分を知ることが出来ないとか
人として未熟だという意味ではありません。
しかし、一般的に結婚や子育ては
子孫存続の本能によって生じやすいはずの
人間が成長できる有効な機会である
とは言えると思います。
今日も長すぎて
「君の名は。」 へたどり着けなかった(涙)
次回こそ、なんで 「君の名は。」 なの?
の疑問にお答えします。続く。