年明け早々に、Netflixで『鵜頭川村事件』(全6話)を観ました。

その後、原作の小説を読んだのですが、内容が全然違うのにびっくり。

舞台と主だった登場人物は同じですが、展開もラストも犯人さえも違うとは。
でも、別物として楽しめましたよ。

 

年明けにふさわしくない(笑)、なんとも陰惨で救いようのないストーリーでついつい一気見!

 

 

ドラマのあらすじ

「エイキチが来る」という言葉を残し行方不明になった妻を探しに、主人公の岩森が娘と妻の故郷である鵜頭川村を訪ねるところから始まる。

ちょうどエイキチ祭りの準備に入っていた村を集中豪雨が襲い、土砂崩れで村は孤立。

停電、食糧不足、やまない雨。そんな中1人の若者が何者かに殺害される。

その後も次々と謎の死が。

もともと降谷家、矢萩家という2派で勢力争いをしていた村。

村人の疑心暗鬼と恐怖はパニックを引き起こし対立は激化する。

また因習に縛られた古臭い村に対する不満をためていた若者達は自警団を作り全面戦争になっていく。

そんな中、エイキチ祭りという奇祭の巫女にするため岩森の娘が攫われて・・

 

 

 

小説のあらすじ

妻の墓参りに、かつて3人で一緒に暮らしていた妻の故郷、鵜頭川村を訪れる岩森と娘。

未曽有の集中豪雨に見舞われ、土砂崩れで村が孤立するのはドラマと同じ。

1人の若者が殺害され、若者メンバーで自警団が組織される。

世の中は学生運動の残り火もそろそろ消えかかってきた昭和54年。

カリスマ性のある団長の降谷辰樹は学生運動ばりのオルグ活動で純粋な若者たちの心を確実につかんでいく。

対立する矢萩一族と降谷一族の立場が変わり、とうとう全面戦争の夜が!

主人公の岩森も巻き込まれ・・。

 

 

どうしてこんなに違う?

奇しくも、原作者と脚本家とのドラマ化の問題が世間を騒がせている今。

この作品も原作とドラマは全く別物。

その経緯はわからないけれど、原作はこの小説ですって言っていいの?っていうほどの別作品になっていました。

ちょっとびっくり。

 

感想など

どちらも面白かったです。

 

ドラマは、もう1人の主人公ともいえる降谷辰樹の、恋愛感情が引き金となって積み重なっていく古い体質の村への鬱屈と怒り、絶望感をクローズアップ。

そして主人公、岩森の隠された秘密。

小説にはない奇祭「エイキチ祭」の儀式を描くことによって、村の闇に隠された悪しき習俗、人の心の醜い部分を見事に浮き立たせる効果がありました。

暴力と悪意、そこに悪意はないであろう村のみに通じる常識、閉塞感半端ない村の映像は、ところどころ直視できないほどゾッとさせられました。

 

小説は、徹底的に村内の対立構造。

古い村体質と世の中の流れのギャップ、変化できない村人と変化したい若者の焦燥感のぶつかり合い。

徹底した男尊女卑と暴行、村人とよそ者、対立する一族間の女性同士のいじめ。

争いが勃発した後の主人公の無双っぷりに胸がすく思いでした。

主人公の娘を守るパパっぷりに心が熱くなります。

 

どっちが好きか?と言われると、小説の方が圧倒的に好み。

筋も通っているし、ラストもきっちりとまとまり、もやもや感がないです。

ドラマは、あちこち??な部分があり、ラストも「なぜそんな?」という鬱展開。

とはいえ、個人的に好きな蓮佛美沙子や松田龍平の演技が素晴らしくて見ごたえがありました。

 

いやー、新年早々こんな因習村のドラマと小説に触れてしまい、そのまま自分の中で因習村ブーム到来。

このあと、夢野久作の『いなか、の、じけん』、東直子の『晴れ女の耳(紀ノ国奇譚)』、背筋の『近畿地方のある場所について』(この小説は最恐…)等々、濃厚な村関係の小説を読んでしまいました。恐い恐い。

 

2024年は一体どんな年になっていくのか・・どこか村へでも旅にでるのか?って気分です…。