今年、我が家の猫4匹のうち2匹を看取りました。

どちらも同じ年の15歳。立派な老猫です。

 

猫と暮らし始めて30年近く。

今回で4匹目の看取り。

 

最初の猫まる(9歳)を看取った時は、気も狂わんばかりに辛く、かなりのペットロスになりました。

糖尿病で、毎日自宅でインスリン注射をし投薬もたくさん。

最後は酸素ボンベも使用してました。

それから3か月後に、なんともう1匹(11歳)も突然ころっと。

 

その時は、ああ、なんて立派な死に方なんだろう。
男気のある先輩猫だから、まるが心配でいっちゃったんだな、と感動すら覚えたんですよ。

何しろ、名前の「はち」にちなんだのか、8月8日の8時でしたからね。嘘みたいな本当の話。

 

そして今年。黒猫くまと三毛猫きく。

どちらも同じ症状でした。

食事をとらなくなり、病院で点滴をしてもらっても改善せずで、どちらも自然の看取りを選択したんです。

もちろん猫にもどうしたいか聞きましたよ。

そんなアホな?って思われるでしょうけど、わかるんですよね、猫の考えている事って。愛

 

1匹は食事をとらなくなって2週間ぐらい、もう1匹は1週間。

少しずつ弱っていく姿を見守るのは非常な努力がいりましたが、猫にとっても人間にとっても良かったと思っています。

その時までの時間は、なぜかとてもあたたかく、みんな笑顔で愛おしい時となりました。
静かに休んでいる猫に「何も怖くないからね。今までも今もこれからもずっと同じだよ。自分の好きなタイミングでいっていいからね」と話しかけつつ。

どの猫も立派に猫生を生ききりました。

 


 

前から折りに触れては読んでいた『猫の學校2 老猫専科』。

 

 

 

この本には随分助けられました。

 

著者の南里さんは、キャットシッターをされています。

自身も17匹の猫を看取った経験があり、本には老猫との向き合い方や、看取りについて悩み、模索した経験が書かれています。

 

実際、病気の猫を前におろおろしていた私に、お祝いできる死もある、という言葉はハッと気持ちを落ち着かせてくれました。

拒否権のない猫を無理やり病院へ連れていき興奮状態で検査をさせる意味があるのだろうか?治る見込みのない病気の老猫は「そっとしておいてほしい」「そばにいてほしい」「なでてほしい」「悲しまないで欲しい」と思うのではないだろうか。と。

 

もちろん、著者はできる治療を全て行う事に対して否定しているのではありません。

老猫に対して「生きる事ありき」だけで延命治療をすることも大事かもしれないけれど、自然に猫のペースに寄り添う事も大事ですよ、という事を伝えています。

少しでも長生きしてほしいのはもちろんですが、何が猫にとって幸せなのか、猫がどう過ごしたいと思っているのか、を考えるきっかけになる本でした。

 


 

今年は、家の猫2匹、親しい外猫2匹を見送る事になり、寂しいし泣けたりもするのですが、どうもこの人達(猫)、新たな世界でわちゃわちゃ楽しそうな雰囲気がすごい伝わってくるのですよね(笑)
だから、人間は大丈夫です。こちらにいる猫たちと引き続きいつものように暮らしているので、時々遊びにきてね、という気持ち!ニコニコ