ある日、子供部屋向こう側に、
上から人が落ちてきました。

比喩でもなければ、創作でもありません。
リアルな出来事です。

ただし、時期は今ではなく小学5年生のとき。

10月のある日曜日の事でした。
部屋で当時流行りだった古切手の整理を
していたとき、事件は起きました。

轟音といってもいい大きな音と、
部屋全体が震えるような振動。
それから聞こえてくる悲鳴。

子供心に何かとんでもない事が
おこったのはわかりました。
でも、それが何なのかわからず、
考えなしに窓を開けました。

窓を開けて、その先にある柵の向こう側に
人が倒れているのを見ました。

年齢はおそらく40代後半。
スラックスにワイシャツ。
ネクタイと靴はなし。

打ちつけられた首と血。

その後の出来事については、断片的な記憶しか
ありません。

ただ、最上階に上着と靴と遺書が残されて
いたことだけは聞きました。

それからそんなに時間が経ってないある日、
飛び降りたと思われる最上階の同じ場所に立ち、
下を覗き込みながら

“怖くなかったのかな”

とぼんやりと思ったのを覚えています。

幸か不幸か、霊能力といったものが
皆無でしたので、毎日現場の前を通り過ぎても
何か見えたり聞こえたりすることはなく、
どうしてその人が自ら死を選んだのか、
選ばざるをえなかったのか、
本当の理由は何一つわかりませんでした。

ただ、死の恐怖よりも、
生きている苦痛の方が強かったのだな、
ということは子供心に感じました。

この感覚は、当時から抱いていた
『俗世間と縁を切って尼さんになりたい』
病を加速させていくことになりますが、
それはさておき。


日本の年間自殺者数は3万人超です。


世界に目をむければこの瞬間も、
内戦や紛争が起きていて、どこかで誰かが
毎日、望まない死を迎えています。
それでも、死者数が3万人を超す紛争地帯は
そう多くはありません。

それを知った時、

『あの人にとって、
この社会は戦場と一緒か、
それよりも酷いところだったのかな?』

と思いました。
そうかもしれません。
私もそうでした。

気がつけば、目的すら見失い“勝ち負け”
だけにフォーカスしていた20代。

一つのポジションをめぐって
友人と争い蹴落としたことさえあります。

しかし、そうまでして手に入れたものは
二束三文の価値すらありませんでした。
そして、本当に欲しかったものが
手に入る事はありませんでした。

その虚無感から、今度は極端なまでに
人と争ったり対立したりすることを避ける
ようになりました。

アホです。

争い/勝ち負けという軸はそのままに、
右から左に移動しただけに過ぎません。
だから何度も同じ問題が形をかえて
目の前に現れました。

疲れ果てて、もう戦う余力残ってないです、
となったときに、
軸ごとシフトすればいいのだと気がつきました。

そして、争わなくても、
誰かから奪う事をしなくても、
人生の勝利者になることはできるのだと知りました。


今の私の願い。

戦場から楽土へ。

ひとりひとりの命がより輝き、
より尊い生き方ができる社会を創ることです。

そのための手法としてエッセンシャルコードや
yogaを活用しています。
でも、それだけにこだわっているわけでは

ありません。

大切なのは【本質】。

手法は枝葉。