こんにちは。ただのあきこです。
先日、ある方に「それが正しいとか正しくないとかは、ひとまず置いておいて♡」と言われた。
その時は「はああ。」と牛のゲップのような、間抜けた返答をしたんだけど。あとで、頭の中がめっちゃワチャワチャした。
え?「正しい」のんは大前提として、当たり前のことだし。逆に「正しくない」とか、そんな不確かな話、聞きたくないし。なんで、世界の根幹みたいな大事なコトおいとけるんや?
ワチャワチャは止まらない。でも、そーじゃないっすか?
アタシは普段、特に「正しい」が求められる仕事をしているので。よく大阪のおばちゃんが会話の最後に使うアレ、「……知らんけど。」って言葉を、判断が際どいときに使いたくなってしゃーないくらい。
正しいことこそが最上、正しいことこそが世界の根幹
という信念と一体化してた。
だけど、や。この「こそ」という強調が臭う感じ。「最」とか「根幹」とかも、オーバーな表現かも。
タロットでいうと逆位置や。逆位置はtoo much や too littleを示すもんで、カードの意味がストレートにええ塩梅で表現されない。
正しいのも、大事な要因のひとつよね♡
くらいが適切なんだろう。だって、物事は多角的な総力戦で、決して一義では決められるもんじゃない。
という感じで、アタシは「正しさ」に囚われてた。そして、そこで考えが終わってた、思考停止♡その時の話題は確か、過去の辛く感じた経験の話だった。感情は完全に成仏してないらしく、チクチク心に痛みを感じながらも、その時アタシは何をどう感じ、思っていたのか「正しく」説明するのに必死だった。
その時にかけてくださった言葉が、冒頭のソレだった。
「それが正しいとか正しくないとかは、ひとまず置いておいて♡」
確かにアタシが、ホントのホントに欲しい結論は、「正しい」過去の経験回帰で終わらない。その先が欲しかったのだ。
答えがひとまず明らかになったことで、それを今の自分にどのように活かすか
「正しさ」に固執すると、エビデンスを追うことばかりに躍起になって、迷宮入りしちゃう。最後はむっずかしーい論文とか専門書になりそうじゃない?
正しさはもちろん大事。信頼がおけるものね。だけど、今アタシが望んでいるのは、今の自分をどう見てあげて、寄り添ってあげて、望む方向に自身をどう動かしていくのか、なんだ。
ある程度信頼出来たら、「これをひとまず正しいコトとして。」という柔軟な気持ちを持ちつつ、その先に進んでいくとえーんやなって思ったのデシタ。そして、この考え方はタロット・リーディングにめっちゃ関係あるやんーって思ったので、また日を改めて、書きまーす。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました