こんにちは。ただのあきこです。
幼い頃、おばーちゃんから
季節の変り目、特に寒い時期の節のはじめ(ちょうど今頃?!)は邪気が入りやすいから、無病息災をお祈りしようね
って教えてもらってました。
邪気って、音も漢字もすんげえ言葉やなあって思うし、疾病や災厄的なコトでしょ。2/3は鬼が登場するじゃない?仏教では、鬼は煩悩の象徴とも言うし。邪気・鬼・煩悩と並べりゃ、ケッコーくるものがあるよね。
ということで。この時期、特に集中的に、ハートの中を点検することにしています。1年間生きてりゃあ、大なり小なりどころじゃないわっ大なり、ハートに色々消化できてない感情がたまってるじゃない。それを成仏させてあげる。
成仏たって、別にアタシ、僧侶の資格があるわけでなし。あの時、なかったことにした感情、この時、こんなこと感じちゃダメだと蓋した感情、その時、もう大丈夫と無理やり終わったことにした感情なんかを(わかるだけ)全部感じて、解放する。その様子がなんだか成仏のようなんで、アタシはこの言葉を使う。統合とか手放しとか、業界ではいうのかもしんない。
で。これをしたから、現実が変わるとかいう、華々しいことはないのだけど。HSPの繊細さんなアタシにとって、これをやると確実に心が軽くなる。
他人の感情や思惑、場の空気、自分には少し強すぎる音・光・匂いなんかの幻想やら現実が混ぜこぜになって、日々、自分の中に流れ込んでくる。自分の思いをしっかり立てとかなきゃ(自分軸ってヤツ?)、カンタンに意識の操縦席を明け渡してしまう。
自分はどうしたいのか、が分からなくなってしまうってこと。
自分はどうしたいかって、言葉でわかることもあるけど、アタシはハートでキャッチすることが絶対的に多い。ピンときたり、しっくりきたり、わけもわからずその気になったり。
だから、そのハート自体が濁り澱んでいたら、感度が鈍くなり、キャッチできないんだ。ハートを濁らせ澱ませるのは、日々の感情の残骸や、未成仏の感情たち。これらは、アタシの奥にある自己否定・無価値観をむやみやたらと刺激する。
無自覚ではあったものの、もともと、めっちゃくちゃ自己否定の多いアタシだ。昔、お世話になり、今は超売れっ子になられた、某氏の著書にも「自己否定が多かった人」として紹介されたくらいだ。(←著者から直接掲載許可を得ているから、妄想ではなくアタシのことだ。)
なあに、ひどくなった虫歯が歯の神経をチクチク刺激するようなもんだ。心配するなっ。
とは到底思えず。悶々悶々、シクシクシクシク、くよくよくよくよと体感の悪い日々を送る羽目になる。それはまさに無間地獄だ。
だからこそ。アタシは意識的に、節目ごと、心を軽くするようにしている。
このところ、怪しくなってきた。ネガティブな感情が重なり、奥にある自己否定がシクシク刺激されるのだ。体感めっちゃ悪い。これは、ハート目詰まりの合図だ。さあ、やるか。
具体的な方法は次回書きます!よかったら、また聞いてください。
最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。