リブログさせていただきました。いつもありがとうございます(^人^)
昨日、「新ブログ」と「年末のご挨拶」をしたばかりですが…(^ー^)
〈一部抜粋〉させていただきました。

「自我」や「思考」が悪なのではありません。

この存在は、宇宙が「自由」「遊び」を経験するために必要なものだからです。

この「自由」と「遊び」は、神が実現できなかった、「最善以外」を拡大することで生まれた要素。

その仕組みに気づけなければ、単純に「苦」を生きることになります。

「思考」することが悪なのではなく、「思考」主導権を握られている状態(自覚のないまま、固定化された思考·認識反応が自動的に発動している状態)が苦を招くというだけの話です。

その自動反応にのみこまれることなく、自覚をもって「思考」を選択できるのであれば、「自我」は自由と遊びを経験する上で、とてもすぐれたツールになります。

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カルマは生命エネルギー同様、全存在が「共有しているプログラム」です。

現象界のレベルにおいての「個人」という感覚において、「どれだけカルマの影響を受けているか」という話すです。

カルマはあくまでプログラムです。

存在しているようで、実在はしません。

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とてもわかりやすく解説されていて、感謝(^人^)

ぜひ全文を読まれることをおすすめします。

そこで「遊びをせんとや生まれけん」という一節が浮かんできたので検索してみました。

簡単にまとめると

平安時代末期の歌謡曲集「梁塵秘抄」のなかにある、遊女が書いた詩の一節

だそう。 ちょっとお勉強しました(…が起こりました。)(^ー^)