本日付朝日新聞朝刊の「読書」面に掲載されている、「量子力学の奥深くに隠されているもの ー コペンハーゲン解釈から多世界理論へ」(ショーン·キャロル著)への、須藤泰(東京大学教授·宇宙物理学)の書評。

難しいですけれど、興味のある方がいらっしゃると思い。

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異なる宇宙ですべてが実現する

自然界の物質はすべてが素粒子からなっている。

これは現代物理が導きだした重要な結論である。


一方で、物理学の基礎たる量子力学によれば、微視的世界は波動関数と呼ばれる一種の波の重ね合わせで記述される。

そしてこの波動関数は物質の空間分布そのものではなく粒子の存在確率分布を表すもので、観測した瞬間に確率の波が収縮して量子的に振る舞うのだという。

直感とは相いれないこの意味不明の説明が、標準的教科書にある量子力学のコペンハーゲン解釈だ。

そもそも「解釈」という単語からして何やら怪しい。


しかし、あえてそこに深入りしない限り、量子力学はあらゆる実験と無矛盾な優れた理論なのだ。


著名な物理学者であるリチャード·ファインマンはこの状況を「量子力学を本当に理解している人はいない」と表現している。

かのアインシュタインですら、「神はサイコロを振らない」とのべ、最後までこの解釈に満足はしなかった。


ところが実験技術の飛躍的進歩のおかげで、この量子力学の基礎が直接検証·応用できる時代を迎えた。

量子コンピューター、量子テレポーテーションなどの難解な単語を繰り返し耳にする機械が増えているのはその証拠である。


コペンハーゲン解釈に対して、微視的世界のみならず巨視的世界である宇宙どのものを一つの波動関数で記述するべきだとの過激な考えが、1957年にプリンストン大学の大学院生ヒュー·エヴァレットによって提唱された。

当時は完全に黙殺されたものの、現在では多世界解釈と呼ばれ、支持する物理学者も多い。

本書はこの多世界解釈の優れた解説書である。


コペンハーゲン解釈に用いられた人為的な仮定を排除し、量子力学の基礎方程式の帰結をすべて素直に受け入れる。

これが多世界解釈の本質だ。

しかしその結果、我々の住む唯一の宇宙のなかで、ある現象が偶然起こるのではなく、すべての可能性は異なる宇宙のどこかで必ず実現していることを認めざるを得なくなる。

有名なシュレディンガーの猫の例で言えば、箱を開けた瞬間に猫が生死いずれかの状態に収縮するのではなく、我々が生きた猫と死んだ猫の存在するどちらの宇宙にいるかを知るだけだ(しばしば宇宙が分岐したと呼ばれる)


正直言って内容はかなり難解だ。

量子力学を学んだことがなければ理解は難しいだろう。

かくいう私もわからない箇所が多々あるので偉そうなことは言えない。

にもかかわらず、今まで多世界解釈という考えに触れたことがない方々であれば、本書で展開されている議論に驚愕し、昨日まで当たり前だと思っていた世界の見方が一変してしまうことだろう。
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量子力学を学んだことはないけれど、スピリチャルな世界学んでいるうちに、量子力学の断片を「本」や他の方々のブログで読み、少しだけわかっている、つもり(^ー^)

そして、この文中にある「偶然」「当たり前」はないということが、前のブログ「おばあさんの よこらしょっと ひとこと」にシンクロしているでは、あーりませんか‼(^ー^)

偶然はないということで、今日の午後は「パイプオルガン·コンサート」で、「有り難い」「宇宙」を感じてきます(*´-`*)ゞ