今朝の朝日新聞の読書欄(書評)の中、「モーツアルト よみがえる天才3」(岡田 暁生〈著〉)への、横尾忠則さんの書評が掲載されていました。
タイトル 「宇宙の音をコピーし遊ぶ幼児性」
数年前、突発性難聴になって生活必需品だった音楽が生活から完全に消滅してベートーヴェン状態(笑)になってしまった。
難聴に苦しんでいたある日、夢にモーツアルトが現れて一冊の本を僕に手渡した。
彼の伝記だった。
それから間もなくして、中国での歌劇「魔笛」の舞台美術の仕事が舞い込んできた。
夢を思い出して、モーツアルトの伝記を数冊読んだ。
本書も伝記であると同時に天才論である。
僕の難聴がモーツアルトと出会う切っ掛けを作ったような錯覚を抱きながら難聴で聴くモーツアルトの音楽は、朦朧として五感を超え、まるで幻聴のように反復しながら聞こえてくるのだった。
それを第六感的音楽と呼ぶことにした。
もともと、モーツアルトの音楽は五感を超えた阿頼耶識(あらやしき)の底から発信してくる霊的な音楽のように感じていた。
だから聴く者の霊性によってモーツアルトの音楽は多様化するのではないだろうか。
モーツアルトは絵に描いたような天才の資質を具現する。
本書でカントは天才と芸術家は同義、「無から規則を作る」人という。
創造者は神の代弁者でもある。
モーツアルトは無意識界からだけでなく、異次元からの情報も本能的にキャッチして、不必要な知識や情報は無意識にブロックしてしまう。
あとは魂の音をコピーして感じるままに音楽を遊ぶように作っているのではないだろうか。
余計な人間的努力など必要とせず、すでにそこ(宇宙)にあるものを写し取っているように思う。
彼は運命の意思に身をゆだねることで、成るように成った。
それがモーツアルトではないのか。
歌劇「魔笛」に登場するパパゲーノの特徴として、「物まね性」「反復性」「遊戯性」を挙げているが、こうした幼児性(インファティリズム)こそが芸術の核であり、天才の条件なのではないだろうか。
評· 横尾 忠則
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横尾忠則さんの表現に感動してしまいます(^ー^)
そして、まさにシンクロに導かれている様子がうかがえますね。
「聴く者の霊性によってモーツアルトの音楽は多様化する」、これは音楽に限らないですよね?
「余計な人間的努力など必要とせず、すでにそこ(宇宙)にあるものを写し取っている」➡深い!
書評の中に、「モーツアルト」に関してのシンクロがありますが、この書評を読んで共感した後、先ほど「題名のない音楽会 ピアノ3台共演」を観たら、1曲目がモーツアルトの「2台のピアノのためのソナタ」という曲でした(^ー^)
世界は不思議で面白く繋がっている✴