深いメッセージと最近ブログに書いたことが数ヵ所シンクロした25分間でした。

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テーマ「エンデが物語に託すいのちと死の哲学」

カメに導かれ着いたところは、ドコニモナイイエ

そこには沢山の時計と時間を司るマスター⋅ホラという老人がいた。

「私のこと待っていたの?」とモモは聞いたが、ホラはモモのことも灰色の男たちのこともすべて知っていた。

老人が差し出した「何でも見えるメガネ」をかけると、モモも何でも見ることができた

(ブログに取り上げた、村上春樹さんの本の広告にあった表現、「単眼」と「複眼」ともとれるシンクロ。 または「個我」と「真我」、「観察される者」と「観察する者」の暗喩?とも)

臨床心理学者の河合さん、

灰色の男たちは、「本当はいないはずの者」で、前回の床屋のように虚無感に襲われたときに現れる。

それは、人間が灰色の男たちが発生する条件を許した時でもある、と。(エゴの仕組み?)


沢山ある時計は、一人ひとりに配布された時間を管理していると教えられたモモ。

次にホラに案内された場所は、金色の天井の中心に丸い穴が開いていて、そこから真っ直ぐ光の柱が降りている。

下には、やはり丸く黒い鏡のような水面が。

光の柱の中には、大きな振り子が下がっていて、振り子が近づく先には花の「つぼみが生まれ、近づくにつれ、美しい花を開き、振り子が遠ざかるにつれ、枯れていく。

振り子の揺れにつれ、美しい花が咲いたり、枯れたりを繰り返す。

その花たちは、モモがいままで見たこともない美しさだった。

咲いては枯れてゆく「時間の花たち」(命の循環、輪廻の暗喩?)

モモが「あなたは死なの?」とホラに聞くと。

ホラは「死が何かを知ったら、死が怖くなくなろうだろう」と。

(ブログに書いた、東大寺の狹川宗玄長老の話とシンクロ)

河合さんの解説。

「ドコニモナイイエ」は、「時間の源、豊かさ」の表現。

仏教でいう、「瞬間に永遠が収まっているところ。 「空」=「充実」」と。


色々なことをホラから教えて貰ったモモは、このことを友達に話したいと言うが、ホラは、

「話すためには、それがお前の中で熟さなければ…。 待っていなさい。 いまは眠りなさい。」と答える。

(聞いた話ではなく、自分の腑に落ちるまで待ちなさいということ?)


モモが目を覚ますと、そこは前の円形劇場。

外に出たモモは、すっかり変わり果てた街の姿に驚く。

眠っていたのは一夜だけと思っていたが、本当は丸一年だったとカメに教えられる。

(伊集院さんが、「浦島太郎」の話みたいですねと。 前回、導き役で「カメ」が現れたとき、「龍宮城」への案内も「カメ」だったと、ふと浮かんだと書いていて、ここでもシンクロ)


カメはモモに、「すべては過ぎ去った」と。

誰も訪ねてくることもなく、友人だったジジとベッポも各々の理由で現れなかった。

モモはいまだかつてないほどの「孤独感」に襲われたが、モモの感じている「孤独感」は、ごくわずかの人しか知らない「孤独」だと。

(「真理」を垣間見たけれど、分かち合う人がいない、ということかな?)

〈次回へ〉

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河合さんと伊集院さんの会話の中で、

モモのように「源」に繋がるには、時間に追われている人ではなく、「今」を生きている人、と河合さん。

伊集院さんが、「私、旅行に行くときは、分単位でスケジュールを組んで、その通りに行動するんですけど…」と。

「スケジュールなど気にせずに、その瞬間瞬間に、心に従い行動できるような人がいい」と河合さん。

前のブログに、「過去」や「未来」や、「あれやこれや」の思考に巻き込まれなくなると、メッセージやシンクロが溢れていることに気づくとも書いていますが、この25分間の中にも、シンクロがあちこちに。

少しの驚きと、戸惑いも交じったり…

導きとプロセスに感謝しつつ…✴

「Into The Unkown♪ 未知の旅へー♪」♀_(`O`)♪

長々とお付きあい、ありがとうございます(^ー^)