7月4日付け朝日新聞夕刊に、舞踏家·麿赤兒さんへのインタヴュー記事が掲載されていました。
表現に共振できる箇所があり、抜粋はできないので2回に分けます。
束縛の日々をどう生きる
〈ちゃんと引きこもるんだ 自分の中で何かが目覚めるまで〉
「ソーシャルディスタンス」「3密」「新しい生活様式」。
次々と突きつけられる、耳慣れない言葉たち。
目に見えぬ縄をかけられ、心がもがく。
舞踏家の麿赤兒さん(77)は、かつてない束縛の日々をどう生きているのか。(編集委員·吉田純子)
言葉に置き換えられない世界の感触を、そのまま身体で表現する。
そうした生業(なりわい)ゆえか、無意識のうちに変動の予兆を探り当ててしまうことがある。
〈肉体通し「生」を問う〉
2011年春、麿さんは大震災後の再生を描いた新作「灰の人」を完成させた。
天変地異で燃え尽きた世界にぽつ、ぽつと芽生え、胎動する無垢な命が滑稽なほどいとおしい。
その初演を6日後に控えた日に、東日本大震災は起きた。
中止を、との意見も出たが、「今やらずして、いつやるのか」。
迷わず、鎮魂の上演を決意した。
その翌年、麿さんは次なる新作「ウィルス」を世に問う。
「ヤツらはヒトの細胞に入り込むとき、増殖するために、己をいったん破壊するらしい。
人間も地球に寄生して生きているわけだが、ウィルスの方がはるかに頭がいい。
そりゃそうだ、オレたちよりはるか昔から、この地球の地権者なんだもの」
「ウィルスはウィルスなりの理由があって、繁殖し、踊ってる。
オレたち人間が踊るのと同じ。
生存の意義とか目的などというのは、あくまでも人間が勝手に考えることなんだ。」
14年には「ムシノホシ」を新に創作。
地球に根を張るあらゆる小さき存在に、麿さんは生命体としての王冠を与える。
日本古来の伝統と前衛の精神を掛け合わせ、土方巽(ひじかたかつみ)が創始した舞踏は、麿さん率いる「大駱駝艦」や天児牛大(あまがつうしお)さんの「山海塾」などの母体となるり、世界各地の芸術家のインスピレーションの源になった。」
重力に抗わない。
一代限り。
人類共通の肉体を通じて、人間の生きることの意味を問う、日本が誇るべき芸術だ。
東京·吉祥寺に麿さんのスタジオ「壺中天」がある。
地下に埋められたほの暗い「壺」に引きこもると、麿さんの眼は昆虫のそれになる。
「己の眼で勝手に世界をのぞき見て、勝手に感動し、勝手に憤り、そして勝手に踊っていたい。」
知性や妄想を総動員し、自在に意識を泳がせる。
時に細胞がうごめくミクロの世界へ。
時に40億年以上前の地球創生の瞬間へ。
(続く…)
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「言葉に置き換えられない世界の感触を、そのまま身体で表現する。そうした生業ゆえか、無意識のうちに変動の予兆を探り当ててしまう」
「東日本大震災」と「ウィルス」の予兆を探り当ててしまったのですね‼
5月12日のブログ「コロナ苦境 創造の力へ」というタイトルで、横尾忠則さんへのインタヴュー記事を取り上げましたが、横尾忠則さんも、「コロナウィルス」発生の1年前に、「兵庫県立横尾忠則救急病院展」を企画していて。
病院の機具などを配置し、主催者や美術館の職員が白衣とマスクでコスプレをしたりで、開催から1週間ほどで「武漢からのウィルス」が広まり、あっという間に街中にマスク姿の人が溢れた。と。
お二方とも、「人類共通のシナリオ」にアクセスしたのかも知れませんね?
「アートはしばしばその発生源を無意識に未来を現在化させる余地的なエネルギーを内に秘めている」
と横尾さんのインタヴューの中にもありました。
横尾忠則さんの次の企画は「弥勒の世」と語られてましたが、これもシナリオ通りになるといいですね(^ー^)