昨日の朝日新聞朝刊、「折々のことば 鷲田清一」より


〈やわらかい〉音とか、〈つやのない〉音とか、〈かわいた〉音といった言い方にも理由がある。 (モーリス⋅メルロ=ポンティ)


色は目で見る、音は耳で聴くというのは誤りではないか。

人は、鳥が飛びだったばかりの枝にそのしなやかな張りを見る。

走り去る車の音に舗石の硬さや凸凹を聴く。

その一つ一つが、外に現れた事物の「内的」にほかならず、それを起点として諸感覚は交流しあうのだと、哲学者は言う。

『知覚の現象学』(竹内芳郎ほか訳)から。

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確かに、確かに……

飛び立ったばかりの枝から、鳥の大きさ、そしてそれに比例した羽ばたく音の大きさ、見えて、聴こえてくるよう

室内にいても、車の音で、舗石の凸凹が目に浮かぶ

記憶データーによるものですけどね?

もう一歩、何か深く落としたい気持ちで、もやもや(^_^;)

ひらめきが起こらない

まー いっかな?

ところで、昨日書いた「折々のことば」のテーマは、「ドラえもん」だった。

その前に書いたブログに、「最近、起こる出来事が漫画の世界に迷い混んだみたい」と(^ー^)

そんな地味な出来事にも、楽しく笑える単純さ!!(^ー^)