2006年、年初に出逢い、精神世界への入口に導かれた本、「神との対話①」を再読中です
その頃は、難しいながらも「大切」な事が書かれている気がして
そして、読み進めている内に思い出した、たぶん就学前のあるシーン
何か悲しい事があり、トイレの中でたたずみ、小さな窓から空を見上げていた時に湧いてきた思い
「私はゲームの駒で、空の上で神さまか宇宙人が動かして見ているんだ」
と
神さまを信じていた訳でもないし、今から半世紀以上前の幼い私に、宇宙人なんて知識は殆どなかったはずなのにね(^ー^)
「神との対話」に出逢い、誕生日が同じ、シャーリー⋅マクレーンの「アウト オン ア リム」に出逢い
何かは分からないけれど、心の奥が知っている…
との思いに、少しずつ色々な本に導かれてきました
2006、2007年は、そんな探求が楽しく、色々なシンクロが起きたりしていたのですけど、
今から思えば、それまでの人生で蓋をしてきた、振り返りたくない出来事や、抑圧していた感情を浄化するために
2008年には、次から次へと辛い事が立て続けに起きて
2008年~2011年は鬱状態に陥っていました
何度、部屋(5階)から飛び降りたら楽になるだろうと考えたことか
そんな状態でも、何故か病院へ行って治療を受けず、自分の内側と向き合う日々
前の2年間に、少し精神世界を本で学んでいたので、自分が選んだ人生
内側を変えなければ(気づかなければ)…と
かなりキツかったですけど
特に2008年前半は、家では最低限、身体を維持する生活
家にいる時は、布団をかぶり、これほど泣けるものかと思うほど、号泣する日々をすごして
ただ、命をつなぎ止めたのは、2008年春から本格的に入退院を繰り返すことになった母の存在
その頃から、持ち前のきつい性格に何重にも輪をかけたような状態に
付き添いに行っても罵声を浴びせられたり、そしてそれは私にだけではなく、看護師や医者に対しても
そして口だけではなく、少し動く手足だったものの瞬間怒りを込めて暴れる時は、私に看護師さん三人で手足を抑え、オムツをかえるなど
つねったり、引っ掻いたり
1度、妊娠中の看護師さんに
「お腹に赤ちゃんいるのに、蹴られた‼」
と怒ったように告げられたときは、本当に落ち込みましたね
三人の兄夫婦にも、殆ど協力がえられず
確執があった母だけれど、遺しては行けないとの思いが強かった
結局、それもシナリオ上の”母の愛”だったと、今はおもえますけど(^ー^)
他にも、2008年には、足首の骨折、二人の兄との金銭トラブル、投資の失敗(リーマンショックの影響で、不安定な精神状態の時なので、かなりの損切りで手放しました)、etc.
シナリオとは言え、我ながら、よく持ちこたえたと思います(^ー^)
そんな訳で、2008年~、母が亡くなった2011年10月末までは、精神的に底を這いずっていましたね
TVも見ず、新聞は読めず、そのままゴミに出す
好きな音楽さえ聴けず、本もあまり読めなくて、もっぱら何人かのメッセンジャーの方々のブログを読んでは、内に向き合う日々
しかし、母が亡くなる前日、言い放った
「役立たず。死んでしまえ‼」
が、葬儀が一段落してから、再度私の心を蝕み、人生を恨み、神に悪態をつき、
2012年3月のある晩、胃に穴が空くのではと思われるほどの怒りに捕まっていたのですが、一瞬、”怒りを感じている自分”と意識が離れて、”怒りを感じている”自分がいる、でも”怒り”も”愛”なんだ!という思いが湧いた途端、あれほど強かった”怒り”が溶けて行くのが感じられ、胃の痛みも徐々に治まっていきました
思わず長くなったので、続きは後日(^_^;)
その頃は、難しいながらも「大切」な事が書かれている気がして
そして、読み進めている内に思い出した、たぶん就学前のあるシーン
何か悲しい事があり、トイレの中でたたずみ、小さな窓から空を見上げていた時に湧いてきた思い
「私はゲームの駒で、空の上で神さまか宇宙人が動かして見ているんだ」
と
神さまを信じていた訳でもないし、今から半世紀以上前の幼い私に、宇宙人なんて知識は殆どなかったはずなのにね(^ー^)
「神との対話」に出逢い、誕生日が同じ、シャーリー⋅マクレーンの「アウト オン ア リム」に出逢い
何かは分からないけれど、心の奥が知っている…
との思いに、少しずつ色々な本に導かれてきました
2006、2007年は、そんな探求が楽しく、色々なシンクロが起きたりしていたのですけど、
今から思えば、それまでの人生で蓋をしてきた、振り返りたくない出来事や、抑圧していた感情を浄化するために
2008年には、次から次へと辛い事が立て続けに起きて
2008年~2011年は鬱状態に陥っていました
何度、部屋(5階)から飛び降りたら楽になるだろうと考えたことか
そんな状態でも、何故か病院へ行って治療を受けず、自分の内側と向き合う日々
前の2年間に、少し精神世界を本で学んでいたので、自分が選んだ人生
内側を変えなければ(気づかなければ)…と
かなりキツかったですけど
特に2008年前半は、家では最低限、身体を維持する生活
家にいる時は、布団をかぶり、これほど泣けるものかと思うほど、号泣する日々をすごして
ただ、命をつなぎ止めたのは、2008年春から本格的に入退院を繰り返すことになった母の存在
その頃から、持ち前のきつい性格に何重にも輪をかけたような状態に
付き添いに行っても罵声を浴びせられたり、そしてそれは私にだけではなく、看護師や医者に対しても
そして口だけではなく、少し動く手足だったものの瞬間怒りを込めて暴れる時は、私に看護師さん三人で手足を抑え、オムツをかえるなど
つねったり、引っ掻いたり
1度、妊娠中の看護師さんに
「お腹に赤ちゃんいるのに、蹴られた‼」
と怒ったように告げられたときは、本当に落ち込みましたね
三人の兄夫婦にも、殆ど協力がえられず
確執があった母だけれど、遺しては行けないとの思いが強かった
結局、それもシナリオ上の”母の愛”だったと、今はおもえますけど(^ー^)
他にも、2008年には、足首の骨折、二人の兄との金銭トラブル、投資の失敗(リーマンショックの影響で、不安定な精神状態の時なので、かなりの損切りで手放しました)、etc.
シナリオとは言え、我ながら、よく持ちこたえたと思います(^ー^)
そんな訳で、2008年~、母が亡くなった2011年10月末までは、精神的に底を這いずっていましたね
TVも見ず、新聞は読めず、そのままゴミに出す
好きな音楽さえ聴けず、本もあまり読めなくて、もっぱら何人かのメッセンジャーの方々のブログを読んでは、内に向き合う日々
しかし、母が亡くなる前日、言い放った
「役立たず。死んでしまえ‼」
が、葬儀が一段落してから、再度私の心を蝕み、人生を恨み、神に悪態をつき、
2012年3月のある晩、胃に穴が空くのではと思われるほどの怒りに捕まっていたのですが、一瞬、”怒りを感じている自分”と意識が離れて、”怒りを感じている”自分がいる、でも”怒り”も”愛”なんだ!という思いが湧いた途端、あれほど強かった”怒り”が溶けて行くのが感じられ、胃の痛みも徐々に治まっていきました
思わず長くなったので、続きは後日(^_^;)