↓私もやって(演じて)ましたよ、どっぷりと(-_-;)


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もしかすると、ただ単に「あなたは幸せになりたいと思っていない」のかもね。

だって、苦しみはじわじわと浸透して、しつこい悪習となってしまうから。

不幸や嘆きを楽しい習慣にしてしまう人たちもいることだし…

”苦しみという悪習“にとりつかれると、どうしてそうなのかという立派な〈正当性〉を主張するようになるんだ。

物質的な、あるいは家族の、社会の、または、スピリチュアルな〈反論の余地なんてない正当な理由〉を盾に、幸福になることを拒むんだ。

ここでははっきりと幸せになるんだと決心した人だけが、幸せになることができる。

この世には、自分の苦しみを誰かの〈せいにする〉人たちがいるよ。

“自分を苦しめた罪のある人”は、もっと苦しめばいいと、自殺までするような人たちがね。

彼らは、もっとよい人生を送るためのすべての可能な扉を自分で閉じてしまって、悪いことばかりが降りかかるようにするんだ。

自分の不幸を父親、恋人、夫、母親、妻、雇い主、兄弟、社会のシステム、あるいは神など、”自分を苦しめた罪のある人のせいにして“、すべては不可能だと決めつけてしまう。

自分を懲らしめ、自分を苦しめるために、造物主の名を使い、あとになって、“神よ、あなたはわたしに対して何てひどいことをするんだ!”

と叫んだりする人々が沢山いるんだよ。

こうした人々も、中には、他人に迷惑をかけ、自分で自分の首を絞めていると気づく人もいるけど、最終的には、自分の行いを正し真剣に幸せになろうとするか、それとも寺院をさるかのどちらかしかないんだ。


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↑あまりにも、過去のわたしにあてはまって(-_-;)

ちょっと辛口すぎて、数年前までは、受け入れられなっかただろう(-_-;)

本当に、神に悪態ついてた時期が…

「こんなシナリオ選んだ覚えがない! あなたが体験したいことは、充分したはず、もう沢山だ! 責任者出てこい‼」

という感じに(笑)

そして、諦めがついて、

「もう、どうにでもしてくれ!」

な心境になってしばらくしたころ…

料理中に、じみーな一瞥?

「なーんだ。すべてが”それ“だったんだ…」

という瞬間が訪れて

その瞬間の“それ”を説明できないし

他の人にわかってもらう必要もないのだけど

そのことも、プロセス

今は、すべて起きて来ることは、自分の”内”に向き合うためとわかって来て

自分を信頼できるようになっている

軽ーく、軽ーく、なって行くために