ママイキ 2日目~承認~ | 世代間連鎖は自分で止める。

世代間連鎖は自分で止める。

親子関係に悩み、生きるのが苦しかった思春期。40才を過ぎて、やっと生きるのが少しずつ楽になってきた!
そんな私が養護教諭をしながら、4人息子を育て、なかなかうまくいかない夫婦関係と向き合い、自分の在り方とひたすら向き合ってきたことを書いています。

ママイキ2日目のテーマは「承認」でした。

今回は、前回ほどの緊張はなく「ふむふむ、なるほど」とうなずきながら、あっという間に2時間が過ぎました。


今回、学んだことを私なりにまとめてみます。


まず、「承認」の『認』という漢字。『認める』と読みますね。

認めるは、もともと『見止める』や『見留める』と書くそうで、見たままの事実を伝えることを承認というそうです。

だから、褒めたり賞賛したりすることとはイコールではなく、「ありの~、ままの~♫」事実を伝えるのだそうです。


見たままの事実とは、相手の存在だったり、相手に表れている違いや変化、成長や成果だったりします


普段、私たちは、相手の成長や成果の結果を見て、

「成長していて、すごいねぇ」とか、「すごーい、できたね。」など褒めています。

でも、これは自分の物差しで測って褒めているので、承認とは違います。


「成長しているねぇ」と、成長している経過を見止めて、事実のみを伝えるのが承認です。褒めも否定もしません。



~お母さんが良い子でいる子どもを褒めるので、子どもは良い子を演じる。でも、本当はお母さんの望むような良い子でいるのは辛く、大変で、思春期になってその思いが爆発して、急に良い子を演じるのをやめてお母さんを困らせるようになる。~


なんて話聞いたことありませんか?



褒めることも、否定することもその人の物差しが基準。

90点で「100点取らなきゃだめじゃない!」と否定する人がいれば、90点で「すごーい、90点もとれたの!」と褒める人もいる。


私自身、テストでいい点を取ったり、何かやったことで成果を出して褒められた経験をたくさんしてきたので、自分がやったことに対して褒められるとすごくうれしい。

でも、「褒められること」=「自分を認めてもらえること」になっており、逆を言えば、「褒められなければ、認めてもらえていない」と感じてしまうことがあります。


だから、自分がやったことに対して、反対の意見を言われたり、指摘されたりした時には、素直に相手の話を聞くことができず、反発したり落ち込んだりしてしまうこともあります。


「失敗は成功の基」

「反対の意見は、自分の見解を広げるいい意見」

「指摘は、私のやっていることをもっとよくするためのいいアドバイス」

こんな風に、とらえることができたら、周りの人の意見にいちいち落ち込まず、前向きに捉えて進めるのになあと思のでした。



自分の物差しって絶対じゃないんですよね。

だから、いろんな価値観の人がいる。


ただ、自分の物差しのメモリがどんな幅が知っていればいい。

周りの人のメモリがどんな幅か知っていればいい


違って当然。違うのがいい。


周りの評価なんて気にしなくていいの。


だって、その人の物差しで測られてるんだもん。

私の物差しとは違う。

色んな人の物差しで測られるの気にしてたら、私は私じゃなくなってしまう。


ママたちは、きっとほかのお子さんの成長と比べたり、自分の母親や義理のお母さん、周りの人から色々指摘され、あるいは、インターネットなどの情報に左右され、『自分』ていうものが、わからなくなってしまう時があるんじゃないでしょうか。


私はたっくさんあります。周りの意見が気になり、ほかの子の成長が気になり、我が子のありのままの姿を受け入れることができないことがたっくさんあります。


または、自分自身の中の「こうあるべき!」に悩まされることも、たくさんあります。


でも、周りの意見は周りの人の物差しだし、自分の中の「こうあるべき」は私の物差し。


絶対にやっちゃダメなことだけ、きちんと教えてあげればそれでいい。

自分の子どもはやっちゃダメだけど、大好きな芸能人がやったらOKなことは、絶対やっちゃダメなことじゃない。よその子がやってOKなことは、絶対やっちゃダメなことじゃない。


見止める・見留める

ぜひ、みんなで心がけましょう。