■1932年の快挙


単独無着陸での大西洋横断フライトが人類史上初めてなされたのは、1927年のこと。チャールズ・リンドバーグは、あまりにも有名だ。


それから遅れること5年の1932年。アメリア・イアハートによる大西洋横断もまた、特にアメリカでは非常に有名である。その間、同じように大西洋横断をした人物がいるにもかかわらず、だ。


なぜかというと、アメリア・イアハートのそれは、見方を変えれば世界初であったからだ。アメリア・イアハートは、女性として世界で初めて単独無着陸の大西洋横断フライトを達成したのである。


これは、マーケティングでよく取り上げられる事例で、その名も「アメリア・イアハート効果」。見方を変えれば世界初になる。業界一番手になる、と。


時は変わって、2002年の秋。


テイエムオーシャンは1番手になっていた。天皇賞・秋(GⅠ)での単勝人気である。牝馬の単勝1番人気は、そして1着は2000年代半ば以降、そう珍しいものではなくなっている。


だが、当時、牝馬が1番人気となったのは、天皇賞・秋が現行の2000mとなって以来、初めてのことだった。


テイエムオーシャンは、歴戦の牡馬たちという大洋へ期待を背に挑む、今世紀最初の牝馬だった。



■得手と不得手


テイエムオーシャンは牝馬クラシック開幕前からその実力を高く評価されていた。阪神3歳牝馬S(GⅠ、レース名及び馬齢表記は当時)を勝利し、桜花賞( GⅠ)の前哨戦、チューリップ賞(GⅢ)を4馬身差で完勝しており、少なくとも桜花賞では敵なしだろう、と。


そして単勝オッズ1.3倍の断然人気に応え、2着に3馬身の差を付け、桜花賞馬となる。


オークス(GⅠ)は2400mの距離が合わなかったか、3着に敗退するも、秋華賞(GⅠ)で見事にリベンジを果たす。


牝馬2冠に輝いた後、テイエムオーシャンはエリザベス女王杯(GⅠ)を僅差の5着と敗れた。このレース、掲示板に載った5頭のうち、直線でいち早く先頭を伺ったのはテイエムオーシャンだった。


彼女を目掛けて外からトゥザヴィクトリー、内からレディパステル、ティコティコタックが脚を伸ばし、4頭はもつれにもつれた。


その4頭の大外をローズバドが強襲するも、軍配はわずかにトゥザヴィクトリーに上がる。エリザベス女王杯史上屈指の名レースと言っていいだろう。


その大激戦の後、テイエムオーシャンは有馬記念(GⅠ)に出走する。


まだ牡馬に牝馬が敵わなかった時代。そして距離も2500mと長かった。テイエムオーシャンが好走するには、条件が厳しすぎた。


同年の彼女の成績は、芝2000m以下で3戦3勝。しかし、2000mを超えると3戦して一度も勝っていない。


適性は、明らかだった。



■牝馬の代表として


年が変わって2003年。テイエムオーシャンのこの年の初戦は、夏の札幌記念(GⅡ)だった。ここを、後にマイルCS(GⅠ)を制するトウカイポイントに1馬身以上の差を付け、完勝する。


これで、2000m以下のレースは8戦7勝。得意条件なら牡馬にも勝ることを証明してみせた。テイエムオーシャンは、次走を牝馬限定戦のエリザベス女王杯ではなく、2000mの天皇賞・秋(GⅠ)に定めた。


この年、天皇賞・秋は府中が改修中だったため中山で行われることとなっていた。


小回りコースの2000mは、先の札幌記念の他に秋華賞でも経験済みで、いずれも勝利を挙げている。また、札幌記念の勝利から天皇賞・秋を制した名牝エアグルーヴの例もある。テイエムオーシャンにはもってこいの条件に見えた。


単勝人気はシンボリクリスエス、ナリタトップロードらと競り合った。混戦ムードではあったが、最終的に競馬ファンはテイエムオーシャンを1番人気に評価した。



■21世紀最初の女傑


この天皇賞・秋での大敗を境に、テイエムオーシャンの競走成績は暗転してしまう。


重賞での好走もあるにはあるが、勝利を挙げられぬまま引退となった。


通算の競走成績は18戦7勝。うちGⅠ勝利は阪神3歳牝馬S、桜花賞、秋華賞。GⅡ勝利は札幌記念。


2000年代半ば以降に現れた数多くの名牝たちに比べ、強調できる点は多くないように見える。


しかし、近年に比べ、牝馬の競走馬としての地位が高くなかった時代に、人気を背負った上で牡馬たちに果敢に挑んだのがテイエムオーシャンだった。


挑戦にはいつだってリスクが付きまとう。かのアメリア・イアハートは1932年こそ快挙を挙げたが、結局はその後の挑戦で1937年、海に姿を消した。それでも、いやそれだからこそ彼女の快挙は輝きを増す。


21世紀を迎えて20年と少し経った現在、牡馬に混じってGⅠを何勝もするような牝馬は珍しくなくなった。ずいぶんと様変わりしたものである。


そんな女傑たちに注目して世紀を遡っていくと、21世紀初頭に天皇賞・秋を1番人気で挑み、大敗を喫したある牝馬がいたことに気付く。


その牝馬、テイエムオーシャンこそが、昨今の女傑の時代の先駆けだったのではないだろうか。