3月11日 午後2時46分。
日本最大の地震が起きた。
世界最大の被害だという大地震が。。。
なんという恐怖。
この数日の間でどれだけ泣いただろう。
なんて自分はちっぽけな人間なんだろうと。。。
なんて自分は心が粗野な人間なのかと。。。
私達に残された物資を、自分達の為にしか使えない。
たくさんの人が困っているのに。。。
津波に流され、瓦礫に潰され、火事に巻き込まれていく人々を、車のテレビで見ていた。
たくさんの人が亡くなっていくのに、どうか自分の家族だけは誰一人欠けることなく、無事でいて欲しいと、心の中で叫び続けていた。。。
自分の事しか考えられない。
情けない自分がいた。
地震発生時、私は双子と3人で部屋にいた。
海から1キロ程度の位置にある自宅の部屋に。。。
すぐに双子をテーブルの下に滑り込ませ、窓が割れても怪我をしないように布団と毛布でテーブルを囲った。
私が潜り込めるスペースは無い。
壁とテーブルの間に隙間を作りかがみ込む。
その瞬間、上に片付けていたプリンターとビデオデッキが飛ぶ。
間一髪。
さっきまで双子が寝ていたところに落ちた。
このまま生き埋めになってしまうんじゃないかと思いながら頭を抱えた。
震えが止まらない。
泣き叫ぶ双子。
「大丈夫」を繰り返す私。
棚から物が飛び散らかる音が響く。。。
揺れが落ち着いたとき義母が玄関から飛び込んできた。
ミオトが下校時間だけど帰って来ていない事を告げる。
義母は津波が来るから避難しろと車に乗り込み、ミオトを探しに出てくれた。
義母は石巻の実家から海沿いの道を帰ってきた。
もしかしたら義母も津波に巻き込まれてたかもしれない。
船の修理工をしている旦那が心配でしかたがなかった。
一旦自宅に顔をだして私達の安否を確認するとまた仕事場の海へ戻っていってしまったから。。。
義母とミオトと合流して中学校へ避難して旦那と姉と義父を待つ。
暗くなり始めた頃旦那が避難所へ到着した。
車にあるテレビでは津波の被害の様子が流れていた。
旦那も巻き込まれていないだろうかと不安だったから心底ほっとした。
夜8時頃になって姉が到着した。
泉から30分程度の距離を3時間かかって帰ってきた。
携帯電話が通じない。。。
実家にメールを送る。
「無事です。中学校に避難したよ。」
センターに問い合わせると実家の安否を知らせるメールが届いていた。
よかった。
皆 無事。
後は地震直後に電話が繋がって無事だった義父を待つだけ。
10時になっても帰ってこない。。。
義父は石巻に事務所のある会社に勤めていたからもう到着しても良い頃。。。
段々と不安が募って。。。
もしかして津波?
いや、きっと危険だから避難したはず。。。
私達はキャンピングカーの中で、朝まで義父の事を待って起きていた。
近くのスーパーが炊き込みご飯を配ってくれた。
でも、義母は義父が帰るまで待っていると手をつけようとしない。
こんな時に限って雨や雪が降る。
避難しているところは暖かいんだろうか。。。
そもそも父は生きているんだろうか。。。
夜が明けて明るくなって雪が溶け出す頃、旦那と姉が探しに石巻へと向かった。
携帯電話つながらず。。。
連絡手段はもうない。
唯一姉の携帯電話だけが何とか繋がるだけ。
昼になり中学校の校庭から下に見える我が家を覗いてみた。
津波で家の前の線路が冠水。
冷蔵庫が横たわっている。
隣の家まで水が来ていた。
ああ、うちは助かったんだ!
余震が続く中食料を取りに家に戻る。
余震はかなり頻繁に続いていた。
心臓がバクバクしていた。
軽い昼食を済ませてもまだ帰ってくる気配はない。
日が傾いてきた頃、旦那達に何かあったのでは?と公衆電話を探して連絡を取ってみた。
「お姉さん?」の問いに、
「じっち(義父のこと)帰ってきた?!」と
間髪入れずに声が飛んだ。
あ。。。見つからなかったんだ。。。
口ごもりながら「まだ帰ってないです。。。」と答えた。
「あぁ、そうなんだ。。。どこいったんだろう。。。」
涙声の姉。
「今帰ってるから。。。」
「わかった。。。気をつけて。。。」
言葉を続けるのが苦しかった。
「どうしたの?」
ミオトが覗き込んで聞いてきた。
「じっち、みつからなかったって。。。」
「。。。」
ミオトは何も言わずに、私が何も言わなかったかのように、手をつないで
「あそこの家のも壊れてるね。」って瓦礫を指差して言った。
ミオトは聞きたくなかったのかな。
義母に電話の内容を伝えた。
初めて母が泣いた。
ずっと頭にある不安を、明日迎えに行けば帰ってくるって思い込む事で、何とか押さえ込んでいたんだと思う。
テレビでは義母の父が入院している雄勝のニュースが流れていた。
街がひとつ丸まんま、津波に飲み込まれていた。
家も店も跡形もない。
更地のようになっていた。
母は、おじいいさんが死んでしまった事をテレビで知ってしまったばかりだった。
「皆 いなくなってしまう。。。」
声を押し殺して泣いた。。。
「大丈夫だよ。きっと探しきれてないだけだよ。」
私の言葉は空を切るように無駄なものだった。
旦那と姉が戻った。
石巻の街も津波にやられて酷い状態だという。
水に埋もれて通れなくなっていて父の会社まで辿り着けなかった。
避難所を探して回ったけど。。。姿は無く。。。
あまりの悲惨な状況に愕然としてしまい、生きていると信じる事ができなくなってしまったと。。。
「お父さんがいるかもしれない所が探せてないんだもん、明日はきっと見つかるよ!」
「そうだよな!津波くらいでくたばる人じゃない。」
空元気でも何でも良かった。
父が生きていると信じる事と、明日探しに行ける勢いさえ持てれば。
避難所から自宅へ移動する事にした。
歩いて父が帰ってきたら。。。という淡い期待からだった。
次の日は姉は探しに行くのを辞退し、母と旦那で探しに行く事になった。
ガソリンも昨日何とか調達できた。
姉はきっとすさまじい現実を母にも知って欲しかったんだと思う。
3時を過ぎても帰ってこない。。。
嫌な予感がする。
姉と二人、泣き崩れる。
「だって、すごいんだもん!あんな中で生きてるかわかんないよ!」
姉が涙声で言った。
嗚咽が止まらなかった。
旦那と母が戻った。
父の姿はなかった。
この日の昼に義弟が会社の後輩二人を連れて実家に帰ってきた。
福島の原発が爆発した為、福島に近い所に住んでる弟達は放射能を避ける為に避難してきたのだという。
連絡が取れなくなっていた為父が行方不明だという事を初めて知った弟は顔がこわばったままだった。
明日は旦那と母、弟で探す事になった。
今日こそは…と気合を入れるものの笑顔はない。
地震が起こってから私達は笑えてただろうか。。。
9時にもならないうちに3人は出かけた。
弟の友達はガソリンを確保しに探しに出てくれた。
また私と姉の二人の時間が始まった。
二人ともラジオを聴きながら当たり障りのない話しかしない。
父の話をすると涙が止まらなくなるから。。。
ガソリンも底を付き明日は探しに出る事もできなくなるかもしれない。
そんな時大き目の余震と共に津波警報が発令された。
前回とかわらないほどの巨大津波がくると。。。
心臓が潰される思いだった。
連絡が付かないのでただ無事を祈る事しかできなかった。。。
また日が傾く。。。
二人の間でまた苦しい時間が続く。。。
旦那達が帰ってきた。
父の姿はこの日もなかった。。。
地震発生から5日目。
もう、心が折れてしまいそうだった。。。
毎日毎日探しても見つからない。。。
避難所も病院も、会社にも。。。
境目だといわれる72時間は過ぎた。。。
この日は弟と母が底をつくガソリンを心配しつつも、日赤病院にだけ行きたいということで出かけた。
お昼に帰ってきたけど、やはり見つからなかった。。。
ガソリンはもう無い。
探しに行くのは今日で最後。。。
後は待つだけしか出来ない。。。
自然と涙があふれる。。。
もう会えない。。。そんな絶望感が私達を包んだ。。。
電波が通じないので家から離れたところへ電話をしに出かけた。
地震後初めて聞く実家の兄の声。
「おお!無事だったか!避難したってメールの後全く繋がらないから!」
あぁぁぁ!!泣けて泣けてしかたがない。。。
義父の安否が分らない今、実家の家族が誰一人欠ける事無く無事でいられたことが、どれだけ幸せな事かと痛感した。
そして、どうかどうか生きていて欲しいとまた父への想いで涙が止まらなくなった。。。
旦那が年明けに千葉にサーフィンをしに行った時にお世話になったstokeさんがわざわざ埼玉から救援物資を届けてくれた。
来てくれると聞いたとき涙がとめどなくこぼれた。。。
遠いところ、ただでさえ貴重なガソリンを使って。。。
ああ!なんて幸せなんだろう。。。
私達を心配して下さる方がいる。
かなり無茶をしてくださってるんだろう。。。
ありがたくて、ありがたくて。。。
言葉にならない。。。
食べ物、水、双子の為のおむつ。
今や何処探しても手に入らなかったガソリン。。。
この感謝の気持ちをどうやって伝えたらいいんだろう。。。
いつか必ず恩返しを。。。と心に誓って別れた。
家に着いても父は帰っていなかった。
ラジオでは福島の原発のことが流れていた。。。
放射能が漏れているとか。。。
お父さんも放射能の雨が降るかもしれないということを知ってるんだろうか。。。(結局本当の情報が入ってこなかっただけで、放射能の雨というほどの放射能漏れは無いという)
そんな話をしながらの3時半を回る頃だったと思う。
姉の顔を見ながら話をしていたら、姉の顔が急に驚いたように変わった。と共に、
「あれ、じっちじゃない?
じっちの車だ!!
あぁっ!あぁっ!
じっち帰ってきた!!!」
「えっ? ええっ?」
私の口からは「えっ?」しか出てこない。。。
「きゃあぁぁぁぁ!!!」
姉が叫ぶ。
何も言わず外へ飛び出す旦那。
それに続く姉。
その後ろから追いかける母。
腰が抜けて座り込む私。
何とか立ち上がり外へ出ると庭で抱き合い涙する父と旦那と姉の姿があった。
雨の中レアを抱っこして戻ってくる母の目は赤かった。
私の涙も止まらない。。。
大声を張り上げて泣く旦那と姉。
どのくらいそうして泣いていただろう。
ようやく落ち着いて部屋に入った父と私は手を合わせ、また泣いた。
電話をかけに行っていた弟が帰ってきた。
玄関で出迎える姉。
「じっち帰って…きたよ!」
また泣きそうになりながら姉が告げる。
「うそっ!」
と言うなり部屋に上がり込み
「あああああああぁぁぁぁぁ!!」
弟は大声で泣いた。
それを聞いて皆また泣いた。
父は少し痩せていたけれど、怪我も無くしっかりしていた。
私達家族は皆揃う事ができた。
こんなに幸せな事は無い。
何に感謝して良いかわからないけれど、何にでも「ありがとう」と感謝の言葉を言い続けたい気持ちでいっぱいになった。
このブログを書くのに3日かかって書いています。
もっともっと色んな思いがありますが、まずはこの数日でみえた家族の絆を残しておきたくて書いてみました。
たくさんの方からメッセージをいただき、また涙してしまいました。
遠い東京から、大阪から、同じ宮城から。。。
皆の心遣いが嬉しくてなりません。
皆さんの想いを聞けただけで私は頑張れます。
私達家族は、運に恵まれ、仲間に恵まれ、家族に恵まれて生活は何とかやっていける状態です。
ご飯も食べれる、双子の赤ちゃんを育てる事もできます。
でも、今もまだ一日1食のごはん、一日500ミリの水しかないままで生活している人たちがたくさんいる。
200㍉のミルクを飲む赤ちゃんが100㍉しかもらえない。
スーパーの袋をおむつにして乗り切ってる人たちがいる。
どうか、この災害でなんとか生き延びる事ができた命をこれ以上失う事無く救って欲しい。
一人ひとりのできる事を形にしてもらえたらきっと救われる命は増えるはず。
どうかどうか、1日も早く被災者の方の家族が見つかり、一緒に過ごせる日が来る事を願っています。
この地震で起こった出来事を少しずつ
ブログに残していきたいと思う。
私の忘れられない記憶として。
忘れてはいけない記憶として。。。
日本中で流れたたくさんの涙の記憶の一片を。