どのくらい治療を受けたかは覚えていない。


先生が左右に振るボールペンをひたすら目で追いながら、過去の忌々しい記憶と対峙した。


それがあまりにも辛すぎて、途中で過呼吸になったり、突然記憶が飛んだり、

今でも思い出すのが1番辛い時期かも知れない。



そんな中で、私は彼と2年交際した後、結婚をしたが

当然うまくいくわけもなかった。




結婚して半年した頃、彼の母親に子供のことを言われ、薬を飲んでいることを話すことになり、

病気の話もすることになった。



その時は、

「騙された!こんなことなら結婚させなかったのに!」
と強く罵られた。



その後、彼が3ヶ月の長期出張に入り私はより不安定になった。



彼は本当に良い人だったけど、私の病気のことをあまり深くは受け止めきれていなかったと思う。




彼の実家に行けば、咳1つすると

「うつるんじゃない?」

と煙たがられた。


慢性の気管支炎がある私の前で、彼の家族は平気でタバコをふかした。



私の父が早期定年退職したことも、

「まだ若いのに。そんなことじゃダメだ」
と何度も言われた。



父のことは大好きとかじゃなかったけど、他人になにか言われるのは耐えられなかった。





そんな家族に彼は何も言ってはくれなかった。





孤独だった。







それでも、私は彼が好きだったので、不安定になりながらも彼との生活を必死で維持しようとした。


今思えば、彼が好きだったのか、結婚生活を維持したかっただけなのかもう分からない。


病気になってからの私は、何が本心か今でも分からない。





治療の疲れや、彼の両親との関係、色んなことが私にのしかかり、

私はまた自分を傷つけてしまった。




その時も、ただ、この場から居なくなりたいという逃げの気持ちだったのかも知れない。



彼は、階段から落ちた私のことを、ただ踏み外したと思っていた。

その時は当然言えなかった。



だけど、自分を傷つけてまで一緒にいるなんて、私はもう限界だと感じ始めていた。





それから間もなくやってきた私の誕生日、

私は酔っ払って彼にこう話したと誕生日の5日後くらいに聞いた。


「私はもう別れようと思う。1度自分を傷つけてしまったから。だからもう無理だと思う。ごめんなさい」
と。



彼がすぐ私に言わなかったのは、私の気持ちが元に戻るかもと思ってあえて言わなかったと言っていた。




彼には引き止められたが、私の気持ちは変わらなかった。


このボロボロの状態を続けられるほど強くもなかったし、彼のことを想う余裕もなかった。




そして、たった1年半の結婚生活にピリオドをうった。