前回の舌がん記録①の続きです。

 

2007年夏、私は長男を連れて1ヶ月ほど日本へ帰国、日本の夏を満喫していました。

そのころ主人が今まで通っていた歯科医から大学病院を紹介されて診察を受けていたことなどつゆ知らず・・・。

 

そろそろ帰国、というタイミングで主人から「ちょっと滞在のばしてくれない?」とテレビ電話。

仕事がとっても忙しくて、当時妊娠3ヶ月のわたしが2歳児を連れて外国でワンオペするのは忍びない、とのことでした。

 

いいのにー?と言ったものの、亜熱帯の8月は殺人級の暑さだし、妊婦では2歳児連れてお出かけもしにくいだろうし、と

色々と説得されて、9月に入ってから帰ることになったのですが。

 

この延長された2週間の間に主人は手術をうけていたのでした。

 

舌がんのステージ1で舌の3分の1を切除、当時36才だった主人の年齢も考慮して、予防として右の首リンパも郭清。

生検の結果、リンパに広がりもなく切った部分も安全域を残して切り取れたようでした。

 

外国では出産もそうなんですが、とにかく入院が短く、舌がんで舌を切り、リンパも郭清したのに入院は6日ほどだったようでこれには後日驚きました。(ちなみに出産は自然分娩だと3日で出されます・・・まだ切開傷も痛いし、おどろおどろしい後産の出血もつづいてるのに・・・)

 

帰国する、という前日か前々日。カメラに映った主人をみて、ずっと感じていた滞在延長の違和感が勘違いでなかったことを確信。

問いただすと、舌がんで手術したんだ、と。

 

今では「舌がん」、「ガン」、という言葉に耐性ができましたが、当時はガン=死んでしまう、深刻で一番怖い病気という概念があったため、怖さというか絶望感というかそんな感情が入り混じりただただ呆然。どうして良いかわからない感情でいっぱいで、主人を労う事もあれこれ経過を聞く事も出来なかった覚えが。

 

2日後空港で久々に見た主人は、私の知っている大柄でがっしりした体格からふた回りほど小さくなっていて、その姿を見た時に初めて事態の深刻さを実感、悲しさと申し訳なさと怖さと、で主人の前で泣いてしまいました。

 

術後しばらくはご飯としゃべるのが不便だった(?はず・・・あまり記憶になくて・・・もうしわけない)だろうけれど、持ち前の前向きさと食に対する貪欲さでメキメキ回復。

 

以前から体を動かすのは好きだったので、病気予防も兼ねて定期的に水泳を始めましたが、まだまだ口腔ガンの恐ろしさを理解していなかったわたしたちは、このままもう二度と病気にはならないだろうとこの頃は安心仕切っていました。

 

今日のフォモサごはん

 

牛肉燴飯 (牛肉のあんかけご飯)

林口街拉麵

台北市信義区林口街46号

 

(地元民しか近寄れないような超絶ローカルレストランですが‥

平民価格でおいしいので勇気ある観光客の方、行って見てください。)