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今日、9月4日は母親の命日です。
6年?立ちます。
末期の直腸がんでした。わかったときには
リンパ節転移、肺、肝臓に転移していて
余命は20ヶ月?22ヶ月という言い方をしていたような。  

後から聞いた話ではやはり症状はあったようです。下痢と便秘。血便もあって、痔だと思っていたみたいです。
腰が痛いとか疲れちゃってどうしようもないとガンがわかる前に電話で話していて
歳のせいだと思っていました。

あと、今から思えばという感じですが
ゲップをかなりしていたと思います。

大腸カメラをすると言った日に腸閉塞を起こし救急車で搬送されて、緊急手術。
途中、麻酔に耐えきれず一時心肺停止。
このまま、手術をやめて2.3日の命か手術続行するかの選択を迫られました。

私は詳しくは何も話を聞いてなかったので
突然、父親から電話がありお母さん入院したから。なんのこっちゃ?なぜ?となり
しかも、手術。その選択。実家が千葉で
病院に向かっているとき、品川駅で
手術かやめるか選択の電話。
もう、わけわからん。品川駅で
「そんなこと急に決められない!」と声を荒げたのを思い出しました。

お母さんの弟夫婦もかけつけ、手術続行を決めましたが、がんを切除するのは不可能で人工肛門をつける手術でした。

それから1ヶ月ほど入院し、元気になり退院。
ほんとに末期なの?というぐらい元気に回復しました。

それから、抗がん剤治療をしていきましたが肺は小さくなったようですが、肝臓には効かなかったようです。

緊急手術から10ヶ月ぐらい立ってからでしょうか、みるみる体調は悪化していきました。顔や手足はかなり浮腫んでいました。8月にはせん妄らしきものも出ていました。お盆に再入院をして、緩和の話しもあり8月下旬に緩和病棟に入院して
亡くなる4日前に息子と病院に行きました。

母親の目はあきらかに黄疸が出ていました。
息子が
「ばあば、目が黄色いよ!」と言って驚いていました。

弱っていく母親の姿を見るのが辛かったです。

全面的に母親を見ていたのは一緒に住んでいた姉でした。父親はいますが離婚してます

亡くなる4日前に話したのが私は最後になりました。余命は半月だと医師から言われていたので、帰るとき、これが最後なんだなと思って辛い帰宅をしました。

次の日にはお風呂に入れてもらえたようです。

亡くなったのが9月4日の確か水曜日で、
その週の土日で私も泊まり込みで病院に行く予定でしたが…

9月4日、午前3時半過ぎぐらいに姉から
電話。息を引き取ったと。
死に目に会えなかったことが悔やまれます。

心臓がバクバク。姉はもっとパニックになってると思い、「落ち着いていこう」と話しました。
お母さんの弟夫婦は葬儀屋でしたのですぐにかけつけてくれたようで
病院から自宅までの搬送までスムーズに。

私は朝一で千葉に行き、母親と対面。
姉と2人で泣きました。

現実なのか夢なのか。
悲しい出来事でした。

6年目の今日、
お母さんに
「いつも、守ってくれてありがとうございます😊」と言いました。

私もガンになっちゃって。人生、ほんと何が起こるかわからない。

長い文章になってしまいすみません