「悔い改め」とは?
「牧師の書斎」から
●マタイはヨハネの語ったメッセージを「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」(3:2)と要約してい ます。「悔い改める」(「メタノエオー」μετανοέω)という動詞は二つの語彙からなっています。それは、 「変える」(「メタ」μετα)という語彙と「考える」(「ノエオー」νοέω)という語彙です。直訳的には「考 えを変える」という意味ですが、それだけでは聖書の言う真の「悔い改める」という意味にはなりません。 ヘブル語の言う「悔い改める」とは、考えを変えることでも、あるいは後悔することでもなく、ただ神に立 ち返る(神に向きを変える)ことを意味しています。 【新改訳 2017】エゼキエル書 33 章 11 節 彼らにこう言え。『わたしは生きている──【神】である主のことば──。 わたしは決して悪しき者の死を喜ばない。悪しき者がその道から立ち返り、生きることを喜ぶ。立ち返れ。 悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ、なぜ、あなたがたは死のうとするのか。』
●エゼキエル書 33 章 11 節で強調されていることは、イスラエルの民が神に立ち返ることです。数々の個 罪を犯さないという決心よりも、ただ神のもとに帰ってくること、これが悔い改めです。11 節には「立ち yT'm' 6 返れ」を意味する語彙「シューヴー」(שׁוּבוּ(が 3 回も使われて強調されています。悪しき者がその道から 神の方に向きを変えること、これがヨハネの語った「義の道」なのです。しかも、それは天の御国の王とな るイェシュアを迎え入れることをも含んでいるのです。「取税人たちや遊女たち」がヨハネを信じたという ことは、天の御国の民となることを意味します。なぜなら、ヨハネは「義の道」、すなわち「主の道」を備 える預言者だったからです。マタイ 21 章 32 節で「ヨハネがあなたがたのところに来て義の道を示したの に、あなたがたは信じず、取税人たちや遊女たちは信じたからです。あなたがたはそれを見ても、後で思 い直して信じることをしませんでした。」とイェシュアは言っています。「あなたがた」、つまり祭司長たち や民の長老たちはが、ヨハネの語った義の道を「信じず、それを見ても、後で思い直して、信じることをし ませんでした」とは、彼のメッセージを拒絶し続けたことをイェシュアはたとえ話を通して語ったのです