「梅雨かよ!?」
くらい天気が悪くてスマホばかり弄っていたので
「24時間ほど触らずにいよう」と頑なに決意表明
結果、
2時間強で通話して脱落。
ま、そんなことより
「個性だから」という話になり
フンフン聞いていたら
「それは個性ではなくワガママではなかろうか?」
という事例が出てきた。
個性とはつまり…
社会規範を数値化して「レベル10」が標準だとしよう
文化や教育などでそれが「レベル10が義務です(明示はされてないけどね)」と暗に示されているのが社会である。
「Aに対しては10、Bに対しては13」やら「Aに対しては9だけど、Bに対しては10」などなど
個人差と事象ごとにそれは異なる
得手不得手があるから当たり前である。
そしてその個別の差の性質を「個性」と呼ぶのは理解する。
で、色んなとこで見聞きする「個性」とは
「Aに対してもBに対しても6くらいでーす」とか
「オール3」の事を「個性」と処理している。
そもそも「社会で他人と関わる時に最低限必要になるべき概ね10付近を満たしていないのも個性」と意味のわからん誤認をしている。
個性を主張するには個性を表す為に、他者との比較が必要である。
対象が「世界」や「地球」や「動物」であるなら
無人島でたった一人で個性として主張もできるだろう。
しかし、概ね殆どの人は「社会生活の中の他者」と比較して個性と言っている。
つまり
「社会の最低限の文化や基準に合わせて所属」という必要性が出てくるわけだ。
で、「最低レベルは10前後ですよ、義務教育で習ったでしょ。他人に迷惑な事をしてはいけません。」なのである。
ちなみに「他人に迷惑をかけてはいけない」は概ねかなり初期設定にされているはずで、要するにレベル1~3くらいの基準である。
それすらないならそもそも教育の方(親も学校も)が既に成立していない。
「迷惑」とは他人に脅威を与えたり、不快感を継続的に加えることも当然含まれる。(善し悪しはまた別の定義であるが)
話を戻すと、「基準から逸脱したものが個性ですか?」「他人を不快にさせることが個性ですか?」「特別な事情もない、五体満足の奴が最低限の節度を守れないのが個性?は?」という事例が多すぎる。
結論として
「便利なとこで個性とか誤訳すんな、このクソガキが。」
でしかないのである
子供が間違えるのは仕方ないとして
教えるべき成人の方がトチ狂っている
時間はかかるだろうけど、結局は倫理観とかの教育の方が適切に行われなければ
最近のおかしな事になっている社会や政治は良くならない。(割と力技使わないと手遅れかも知れんが)
という所感。
ChatGPTに読ませて作らせた画像を〆に置いておこう。
