『生きてるだけで、丸儲けってことよ。』
遠方に住む母親と、久しぶりに電話で話した。
ちょうど1:00:00のタイムを刻んだ画面を見た私は、iPhoneの左サイドのボタンを押していた。
スピーカーから聞こえてくる母親の声は、いつもでかい。
私は最大に設定していた音量を下げた。
母親との電話が、こんなに長くつづくようになったのは、30歳を過ぎた、ここ最近の話だ。
私の反抗期、いわゆる中学から高校時代。
それなりに、私は刺激的な反抗期を経験した。
(詳細は刺激的過ぎるため、そこまで触れないにしておく。)
とにかく、ギザギザハートだったのだ。
(や、ヤンキーとか不良だったわけじゃないけど。笑)
早く親から離れたい、そう思っていた私は、高校を卒業してすぐ実家を出た。
その後は、いわゆる『イマ、ここ』を横臥して青春時代を送った。
やれバイトだ、やれクラブだ、やれ渋谷だなどと、新しい環境や新しくできた交友関係に、夢中になって本気で遊んだ。
今でこそ母親とは、職場での体験や、ヨガのこと、他愛のない会話まで、気兼ねなく長話が出来る。
当時は、そんなこと、とんでもない。
連絡する時は、クルマをぶつけたとか、家に白アリが出たとか、そんな時だけだった。
(当時はすごいアパートに住んでたもんだ。1年で引っ越したけど)
そんな、ちょっと普通とは違う娘を持った母親は、やっぱりちょっと普通じゃない。
いきなり電話してきたかと思うと、
『いま、8チャン(テレビの話らしい)見てみて!面白いの、やってるから!すぐに見てみて!じゃあね!』
なんて言うだけ言ってきってみたり、深夜に突然メールをくれたり。
(しかもそれが不自然に多すぎる絵文字付きだったりして、やけに可愛かったりする。)
当時はありがた迷惑、なんて感じてたものも、今では可愛いな、なんて感じちゃったりするのは、私が歳をとったからなのか。
そう。
いつしか、こんな風になれたのも、親だって、完璧な訳じゃないんだ。と、何となく、大人になってきて、感じるようになったからだ。
遊びまくって実家を離れた期間は、私にとって、『ほっとする居場所』『私のことをよくわかってる人の存在』を、よく知らしめてくれる経験にもなった。
ある程度の時間と距離は、時として人との関係を良好にする。また、ある時は人の心を癒す。
この世界は、時間と距離で制約されていて、
どこでもドアがあればいいのに!
と、私はバスに乗り遅れそうになるたびに思う。
時間があるから、楽しい時はあっという間に過ぎるし、辛いストレッチの時間は長く感じるし、年越しがあるし、その度に歳をとる。
距離があるから、私の家から仕事場まで1時間もかかるわけだし、時間を逆算して支度しないといけないし、行きたいねって言っても玄関のドアを開ければ南の島が目の前に広がっている訳じゃない。
この世界は、色んな制約の中で包まれていて、それだから、ちょうどバス停についたらバスが来たときは安堵するし、始めて行くヨガスタジオの場所がわからなくて不安だったのに、すんなり見つかった時は嬉しく感じたりする。
つまりはどうやら、
辛いことや嫌なことを感じることで、
幸せなことや好きなことが有難く感じるわけだ。
今週末は、家族で香取神宮に、お参り。
久々の、家族の時間。
夜勤明けの足で、現地に集合だ。