今回のコロナ騒動で気づいたのが、自分も含めいろんな人の反応が、普段よりも強く出ていることでした。

 

例えばダンナは元々心配症なところがあります。コロナ騒動で炙り出されたのが、この心配症でした。心配からくる行動が増えました。

 

そんなに心配しなくてもと思うのですが、普段からハリケーンなどの非常時に備えたり、子供の病気の時におろおろするのは彼です。その心配性が今回強く出てます。

 

私はというと、一週間ほど前に、次男に「コンピューターでコロナのことばっかり見てる」と指摘されました。

 

私はそう言われてキョトンとしてしまったのです。「あれ?こういう時に気になって見るの普通じゃないの?」と。

 

そういえば次男は、いつもと変わらず友達と楽しげにオンラインでゲームしてて全然コロナのことを気にしてません。(この人の口癖は大丈夫)

 

どうやら私の反応が普通というわけではないみたい。

 

私は普段から中毒の気があって、集中するとずっとそればかりやってしまうことがよくあります。同じことを飽きもせず長時間し続けます。コロナでその性質が強く出たのでした。

 

 

コロナ騒動でいろんな人がいろんなことを言ったり書いたりしてます。そういうのを読んでいると、結局はそれぞれ普段の性質、方向性がこの騒動で強く現れているだけで、違う面が新たに出ているわけではないと感じます。

 

普段あまり本人も気づいていない性質が、今回強く出ることで認識しやすくなっています。こんな一面があるんだと自分を知っていくのも楽しいです。

 

怒ったり、悲しくなったり、興奮したり、痛快に思ったり(そういう人いましたね)、怖くなったり、不満に思ったり、大丈夫だったり、、、(他にどんな感情があるだろう)、、、

 

そしてその感情の向いてる矛先は何なのか、誰なのか、、、

 

そんなところを見てみるのは楽しいです。

 

さて、私は子供からの指摘以後はコロナへの執着も薄れ、他のことに目を向けられるようになりました。でも、ずっと家にいて、いくら家が大好きな私でもいい加減飽きました。今すぐにでも働きに行きたいです!!!

振り返ってみると、私は2月上旬に引いた風邪がコロナウイルスだったような気がしてます。最初頭痛がして、少しの鼻水と喉の違和感がありました。熱は平熱よりもほんの少し高いだけで微熱とも言えない程度。職場で半数以上が風邪を順に引いていたので移ったようです。私自身は2日で治ったので軽い風邪でした。

 

終わった時、何となくウキウキして、どういうわけか、すごーーーく新しく生まれ変わったような気がしたのです。

 

なにかをダウンロードしてアップデートされて生まれ変わった感覚でした。

 

「なにか」が何なのか全くわかりませんが。

 

 

そうそう思い出した。1月の旧正月をきっかけに新しいステージに変わった感じがあったんです。変わったのは世の中なのか自分なのかわかりませんが、何となく変わった感があった。

 

そして2月に入ってから、発明と発見とあれこれで書いた気づきがあって、何だかいいサイクルに入ってる感じが続いてて、その後に風邪を引いて、そこで完全に生まれ変わった気がしたのでした。ダンナにもそう話していました。

 

 

 

コロナに罹ってたらもう安心なのにという希望からの勘違いかもしれませんが、それを横に置いても、あの風邪は何だかとても良かったのでした。

 

ダンナと次男も私から移ったっぽい風邪を引きました。長男は友達と遊び歩いていて家にあまりいなかったので、風邪は引きませんでしたが、もしかしたら無症状感染してたかもしれません。

 

職場だけじゃなく、学校でも風邪が流行っていたので、おそらく多くの人がすでにコロナに感染しているような気がします。大きな大学があるので、外国人の出入りも多い町です。早めにマイルドに感染が始まっていたのかもしれません。

 

(3月27日に書きかけてたもの)

 

数年前から研究室でパートタイムの仕事をしてます。好きな時だけ好きなことだけして働いています。

 

月曜(3月23日)に実験の手伝いをしてたら、火曜から職場が閉じるとメールが入りました。新しい実験は全て禁止、今やってる実験も中止。ごくごく一部のもの(無くなったら二度と取り返しがつかないようなもの)を保存するための行動はしてもいいが、それ以外は自宅で働いてくれというお達しでした。

 

アメリカの他の地域ではすでに行動制限が始まっていたので、職場が閉鎖されるのも時間の問題で、今週半ばぐらいかなと準備はしてました。予想より早い閉鎖でした。

 

そして火曜日(3月24日)。私の住む地域にStay at homeの命令が出ました。一部の業者を除いて営業禁止となりました。すでにレストランは店内飲食禁止で持ち帰りか配達のみになっていて、他の業種の店も自主的に休業してるところもあったのですが、その範囲が広がります。essential service以外は稼働禁止です。

(ここまで)

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あれから二週間。

 

まだ自宅待機してます。この2週間で外に出たのは、公園5、6回と買い物1回。買い物は昨日2週間ぶりでした。数日前にマスクをするようにと国の方針が変わりましたが、お店に行ってみたら、思ったよりもマスクしてる人が少ない。二割ぐらい。お店の人もしてないし、普通に店員同士が大声で話しててソーシャルディスタンスも取ってない。まだこの辺りでは死者が出ていないので緩いようです。

 

ただスーパーのカートの持ち手や買い物かごはひとつひとつ丁寧に消毒してくれていて、客の人数も制限され、店内の消毒のため営業時間は短縮され、週に二回は高齢者専用の時間も設けられていて、コロナ対策は取られています。

 

長男の大学は相変わらずオンライン授業。次男の高校は4月いっぱいは休校。その間、オンラインで課題が出されそれを提出することになっています。授業をオンラインでする計画もあったようですが、全ての生徒がブロードバンドのネット環境にあるわけでもないので叶わなかったようです。

 

 

そういうわけで、この二週間、家族全員がずーーーっと家にいます。幸い仲は良いので、それ自体はストレスになりませんが、運動不足がひどいので、夕方近所の公園に家族でたびたび出かけています。子供とダンナはサッカーの練習をします。

 

もう十数年、サッカーマム(mom)をやってきてるのに、私は完全インドア派でボールもまともに蹴れないです。全然運動が好きじゃないです。好きじゃないどころかアンチエクササイズです。だから私は今回も、もっぱらストレッチとサッカーフィールド(芝)の草むしり。子供には変な人と笑われながらも、草むしりが楽しくてたまりません。

 

それでも一日中家にいてあまりにも運動不足なので、そんな私でもボールを蹴ってみようかなという気になり、少し練習しました。長男が教えるのが上手で、だいぶコツをつかめるようになりました。

 

4人で公園から帰ってくる時、長男が、「こういうのもいいね。家族みんなで楽しいね。」と言います。思えば、子供が大きくなってからは家族全員で行動することがほとんどなかったのでした。

 

ニュースはコロナウイルスの話ばかりで、私も一日中取り憑かれたようにニュースに張り付いて見てることもありますが、窓の外を見てみれば、新緑の季節。騒動が嘘のように、ただただ青い空に艶やかな緑の木々。何も知らなければ、完璧な平和しかそこにありません。家族仲良く公園で過ごしているのも何物にも変えがたい幸せです。

 

 

こんにちは。

 

国家非常事態宣言の出たアメリカはフロリダ州に住んでいます。

 

クルーズ船の発着港がいくつもあるフロリダ州では、しばらく前から感染者と死亡者が確認されていましたが、私の住む街ではまだ他人事といった感じで危機感があまりありませんでした。

 

地元の大学だけは注意喚起(日本を含む4カ国からの帰国者のセルフ隔離)を度々し、オンライン授業に移行するような準備は始まっていました。

 

数日前に地元で最初の感染者(他州から来た人)が確認されましたが、それでも一般の人への影響は低いと言われていて随分のんきな様子でした。

 

ところが昨日(金曜)午後に小中高が閉鎖されることが決まった途端に、それまでのんびりしていた周囲の雰囲気があっという間に変わり、スーパーに人が殺到しました。トイレットペーパーなどの紙類、食料品、水(なんで?)、ハンドサニタイザーなどの買い溜めが始まっています。

 

我が家は1月の春節前に報道があってから、マスクなど必要そうな物は様子を見ながら購入していたので特に慌ててはいません。

 

再来週は春休みなので、これから2週間は学校が休みになり再開は3月末の予定です。他国の様子を見ていると、延長される可能性も高そうです。

 

日本では早くから感染者が出たのにも関わらず伝播が割に緩やかに抑えられていますね。アメリカでもそうなるといいですが、色々と文化や習慣が違うのでどうなるかわかりません。マスクも一般家庭では常備してないでしょうし。

 

ところで、アメリカではインフルエンザが猛威を振るっているという報道をよく見かけましたが、私の周りではさほど流行っている様子はなく、実際に罹った人を私は偶々なのか一人も知らず、間接的に一人知ってるだけでした。地域差が大きいのかな。

 

それとは別に、マイルドな風邪は周囲で今年2回ほど出回っていた様子です。休むほどではない鼻水や喉の違和感や咳など、もしかしたらもうコロナウイルスに罹っているのかも?と疑うような症状ですが、花粉症の時期でもあるのでよくわからないみたいです。

 

今回の急な学校閉鎖の報道で日本と違うと驚いたことがひとつあります。

 

学校閉鎖で給食を食べれない子達が出てくる問題です。

 

この地域の公立学校では朝食と昼食が無料で提供されているので、平日は誰でも希望すれば最低限2食は確保できます。長期休みの時も朝食だけは学校に行けば食べられます。以前は世帯収入によって給食代は、有料、減額、無料と3段階に分かれていましたが、今は誰でも無料になっています。

 

結局来週中は学校へ行けば昼食を食べることができるように配慮されました。

 

 

 

 

さて、私自身は新型コロナウイルスについて、遅かれ早かれ大半の人が罹ることになるだろと予想されているので、特に恐れもありません。ただ日本で一人暮らしをしている義母のことは気にかかっています。

 

今回亡くなった方のほとんどが高齢者なのを目の当たりにして、お年寄りの体の弱さを改めて知りました。年長者に対してこれまでとは違ういたわりの気持ちを持つようになりました。

 

この騒動を機に社会のあり方が大きく変わっていくのでしょうが、私自身の心の持ち方もすでに少し変わった気がします。

 

ご無沙汰してます。前回の更新からあまりに時間が経ってしまって、え、まだブログやってたの?って自分でもびっくり。元気です。ずっと元気にしてました。

 

 

先日、ドライブ中にコロナウイルスの話題から始まって、学生時代に習ったバクテリオファージ(細菌に感染するウイルスの総称)が工業製品みたいだとか、DNAなんて発見した人すごいなんて話をダンナとしてた時に、突然次の考えが湧いてきました。

 

発明=発見

 

発明はこの世に無いものを新たに生み出すこと、ですよね。

そして発見はまだ見つかっていなかったものを見つけること。

この二つは別物なのですが、

 

なのですが、あれ? 

 

発見って発明と一緒じゃないですか?

 

説明がしにくいのですが、

無限の可能性が存在する完全な世界から、『発見』することでその現象を掴み取ってくる。つまり、この世界でそれが生まれる(現れる)というイメージです。

 

なんかこれ、似たような話があったなと思い出したのが以前書いたブログ。

信じるとは 

(2011年に書いてる。昔過ぎる。。。表示が小さくできない)

 

ついでに似た話、

信じると確信と事実(亀)

(こっちは2014年。この時も運転中に気づいてる。)

 

 

発見と発明はこの世では別物のようだけど、実際は同じものなんです。(って言い切っていいのか?という自信のなさも1%ぐらいあることはある)

 

共に生み出している。

 

そうすると、あれあれあれあれ?????

 

想像=創造 でしたよね?これはもう当然ということでいいでしょうか? いいことにします。

 

するとですね、全部同じなのです。

 

発見=発明=想像=創造

 

ぜ〜〜んぶ能動的に生み出してる。

 

これに気づいてしまった時、鳥肌もので一人で感動に浸ってしまいました。で、ダンナにメモっとけと言われてメモし、すぐにブログに書こうと思ったまま半月過ぎて、すっかり書く気持ちも失せた頃、友達のブログでシンクロ的なことがあって、書けと催促されたような気がしてようやく書きました。(といっても催促からさらに1週間以上経ってる。行動が遅いのが私の取り柄???)

 

でね、

 

すごーーーい大発見!(「発見」ということは「創造」でもある。私が勝手に創った世界なのだとツッコミ)なんて最初は思ったんだけど、これって当たり前といえば当たり前なんですね。

 

というのはこの世界というのはすごく”具体的”なんです。

 

そして実相というか上の次元というか、そういう世界に行けば行くほど抽象度が上がるんです。

 

「ぼんやりする」というと変だけど、「それぞれの境界線がくっきりしなくなってくる」とでもいうか。そういうことです。詳しい話は省きます。

 

だから、ひとつひとつの言葉の定義も具体的な世界では限定され、抽象度が高い世界では重なってくる。そして一致する。

 

もともと同じものなんだから、そうなってくるのは当たり前ですね。(あ〜、発見の喜びがしぼむ〜〜〜)

 

そんなこんなで興奮もすっかり冷めきってますが、ようやくブログが書けて良かったです。せっかくなので、またしばらく書いてみるかも。