前回の続き。下書きに入ったままになってたのをあげておきます。

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12年ぶりに一人で過ごした日は晩ご飯を食べず、お湯を飲みながら少しのダークチョコレートをつまみながら読書をしました。

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ここなんですよねー
私の課題、、
食の事。

私は食事は簡単なもので十分な人なので、例えば毎日カロリーメイトのようなものでも構わないし、毎食オートミールでも構わないし、パンとチーズと葉っぱでもあればワインがなくても十分に生きていけます。

一人だったら、いわゆる「まともな食事」はしなくていい。

冷蔵庫もいらないし、コンロも4口あるけどお湯を沸かす為に1口あれば十分で、調理ができなくてもたぶん困らない。

食品庫も冷蔵庫も物がいっぱい入ってるのが好きじゃなくて、スカスカになってくると心の底から喜びが湧いてくる。

そんなふうなので、家族のご飯を作るのは私としてはかなり無理していて、それは十分自覚していて、ダンナも知ってる。

そんな状況ではあるけど、自分なりにあまり無理しすぎないようにしていたつもりだった。

でも思いのほか、責任感や罪悪感が根深く自分の心に巣食っていることが、一人で過ごしたらわかった。

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(ここまで下書きしてました。)



上の文章を書いた翌日、母に電話したんです。
そしたら、母が明るい声で、昔、母が病気したことをつくづく良かったと思ってると話し始めました。

病気する前は家はいつもピカピカ、家事も3人の子育てもほぼ一人で完璧にこなして、その上趣味もパートの仕事も楽しんでました。あんまり寝てなかったんじゃないかと思います。

でも病気になってきちんとやれなくなって、「きっちりやること」を手放したと。そのお蔭でいま楽に生きられると話してくれました。

それでも、もっと母と話していると、いま母は体調が万全ではなくて、色々やってあげなきゃいけないのにできなくて同居の家族に悪いと思っているという言葉が出てきました。

責任感とそれが果たせない罪悪感を感じていました。

私と全く同じです。母子共に、一見手放したつもりでも、心の奥にまだ残っている思い込み。

母に「私も同じ事に気づいたよ。そんなのいらないから手放しちゃおうよ。捨ててもいいよ。」と話しました。

母とシンクロしたなあと思ってたら、その後、なーこちゃんからも同じような話題が出てきて、さらに考えさせられました。

自分の気づきが「それだけ」で終わらないんですね。「みんなひとつ」だから、連鎖していくものなんですね。お互いに影響しあってる。

下書きの内容についても、繋がる話が出てきたので、次はそれについて書いてみます。