「シゴデキ」という言葉があります。
レッドブルのCMで見たことがあり、その他諸々で目にすることがあるのですが、
どうやら「仕事ができる人」の略称のようです、しらんけど。
自分のことを振り返ってみた時、多分自分はその「シゴデキ」に該当するのだと思います。自分で言うな。
でも他人からそのような評価をいただくことが多いのです。
でも多分大体の人って、自分のことを「シゴデキ」だと思っていると思うんですよね。
でなきゃレッドブルのCMで「シゴデキを乗りこなす」なんて表現で共感を得られませんもの。
新入社員や環境が合わない場所で働いている人でない限り、大体の人は「シゴデキ」なわけです。実態はともかく。
ところで、自分がブログなり出版なりの個人活動(カッコつけると個人事業)をやり始めてみた時、
「シゴデキ」って本当に大事なことなのかなと思うようになりました。
つまり「シゴデキ」って、人から指示された、やらされた仕事を期待の水準かそれ以上にできることで、
「あいつ使えないなぁ」の反対となる存在です。
指示すれば水準以上のことをやってくれる。でもそれって、「人に使われている」範囲でのことなんですよね。
その部分がちょっとモヤモヤするのです。
私は今の職場で一応、仕事ができると見なされていたのでしょう。
大量の仕事が降ってきて、仕事の兼務もさせられて、それで今うつ病になって倒れているわけです。
「あいつは使いやすい」と思われて使われて、「シゴデキ」の評価を得たとして、
それは一体何になるのでしょうか。
出世?それは地位が上がることですか?それとも給与が上がることですか?
起業家の本を読んでいると、会社の名刺と役職でイキがるのは格好の悪いことだという話がちらほら出てきます。
本当にその会社で偉いのは、その会社を創業した人間だって。
自分は会社で一定の役職はいただけました。それこそ友人に名刺を見せれば「凄いじゃん」と言われるくらいには。
でも個人活動を始めると、事業を興した人の本を読むと、その役職の源泉となった「シゴデキ」の評価は
他人が指示してそれをこなしたというだけのもの。他人の手のひらの上で踊っているようなものに思えるのです。
給与にしても、一定額を会社で稼いで運用すれば、投資の勉強は必要ですが資産運用の利益が会社の給与を上回ります。
トマ・ピケティの「r>g」そのままです。つまり、資本自体の増殖の方が給与の増加よりも大きいということ。
会社に勤めている身での「シゴデキ」には、自分はあまり価値を感じなくなっているのです。
では個人活動、カッコつけて個人事業と言いますが、こちらはどうなのか。
個人事業では利益を上げることが評価になります。利益を上げられないのは事業としては失敗です。
これを言い換えると、事業でお金を稼ぐことが仕事の評価、「シゴデキ」になるのです。
ところでお金っていくらあると良いのでしょうか?1億円?10億円?
自分の場合は2億円あればいいなと思っています。
それを高配当株に回せば一生会社に勤めなくても十分余裕のある生活ができるから。
それ以上のお金は、それを得るための労力や実現可能性を考えると多いかなと。
もちろん、お金が多ければ多いに越したことはないんですけどね。
1兆円あれば母校のキャンパスを都心に移転できますし、それで発展した母校を見てみたいと思います。
まあこんなんはどうでもいい話。
結局のところ、事業でお金を得るにしても、必要以上の資金は使い道に困ることになるのではと思うのです。
自由な人生を歩むためにお金は重要だと思います。ただ労力や実現可能性に見合うかという話。
そうすると、事業活動における「シゴデキ」はお金を稼げるかに依存するわけなので、
お金を必要以上に得る意味が問われるわけですが、あまりその意味を感じない。
まあ10億円とかそういうレベルの話ですけどね。
また事業家で10億円や100億円を稼ぐ人は、そのお金を使って次々事業を行うわけですが、
多分そういう人って「自分は仕事ができる」なんてことは考えていなくて
単に「世の中を良くしたい」「楽しく生きたい」というモチベーションで動いていると思うのです。
小林一三だったか、「世の中に貸し勘定の大きい人が偉い人」なんて言っていましたが、
事業家の伝記を読んでいると、自分の有能さをアピールするために仕事している人ってほとんど見ないのです。
そもそも世の中にさせられている事業をうまくこなせるから「シゴデキ」だというのは
雇い主が会社から世間に変わっただけで、自分から出たものではないので雇われと同じようなものですよね。
結局のところ、「シゴデキ」なんてものは自己満足に過ぎないものなんだと思います。
自分のことを「シゴデキ」と思って満足できるのなら、それは意味のあるものなんでしょう。お前の中ではな……。
うつ病で仕事から長い期間離れて「シゴデキ」を考えたところ、
少なくとも私の人生には意味のないものなのだと思うようになりました。
そんなものよりも自分が健康で自由に生きられる方がよっぽど大事。
良好な人間関係や家族関係の方が、人生の幕を引く時には意味のあるものになるのかなと思います。
まあ「シゴデキ」なんて、経営者が労働者を気持ちよく過剰に働かせるための文句みたいなもんですよ。
そんなもんをまともに受けると、私みたいにぶっ倒れますよということです。
