今では日本における鉄道事故はだいぶ減りましたが、昔は大事故によって、かなりの犠牲者の方が出ていたようです。今日はその一部のご紹介。
ところで常磐線・三河島事故をご存知でしょうか?私が産まれる前の出来事で、こちらは1962年5月に発売されたアサヒグラフの表紙です。今からおよそ55年程前でしょうか?アサヒグラフの記事には、三河島事故について掲載されていました。三河島と言えば、私もたまに三河島駅や駅付近の貨物線へ、貨物列車の撮影に出かけることがあります。
事故の概要ですが、1962(昭和37年)年5月3日の午後9時35分頃、三河島駅を発車した、田端発水戸行きの下りD51貨物列車が信号機を見誤り、待避線に突っ込んで脱線し車止に激突。そこへ並走する取手行きの下り電車が衝突して脱線しました。下り電車の乗務員は乗客を避難させようと、線路へ乗客を下ろします。しかし運の悪いことに、今度は上野行きの上り電車がやって来て、線路上に避難していた乗客を次々にはね飛ばして(轢死)、前方の車両が下り列車に衝突して大破し、高架下に落下するという、国鉄史上まれに見る、悲惨な事故だったそうです。この事故で160名の方が亡くなりました。
日本の鉄道は安全と言われていますが、過去において、このような大事故を経験しています。今ある日本の鉄道の安全性というのは、こうした事故を経験したことによって、技術や鉄道に携わる者の安全に対する意識が向上したことによって成り立っているのだと思います。先日も新幹線の台車の施工不良により、重大事故発生の危険性が指摘されました。鉄道を愛する自分としては、更なる安全性を確保して、日本の鉄道が発展する事を願ってやみません。
今日はちょっと堅い内容になってしまいましたが、お口直しに、当時のアサヒグラフに掲載されていた広告をご覧下さい。
それではまた。