二人の関西音楽の父
ネットで調べると「関西音楽の父」と言えば大阪音楽大学創設した永井幸次と出てくる。1874年鳥取県出身、東京音楽学校に学び、鳥取県、静岡県で教えて、大阪へ。そして大阪音楽学校創設となり、関西音楽の父と言われた。日本草創期の指揮者である故朝比奈 隆の回想録によれば、京都大学法学部へ進学したのは、同大学のオーケストラの指導をしていたエマヌエル・メッテルに教えを乞うためで、そして彼を「関西音楽の父」とも書いていた。つまり、二人の「関西音楽の父」が存在したことを初めて知った。幾つになっても知らないことばかりで学ぶことは楽しい。こちらの本は既にご紹介したが、第一次世界大戦の青島で捕虜になったドイツ人たちが日本初のベートーヴェンの第九を徳島の坂東収容所で練習を重ねてヘルマン・ハンゼンの指揮で演奏された。この時演奏に参加した徳島交響楽団を指導したのは同じく収容所にいたパウロ・エンゲルであった。四国音楽の父の一人はパウロ・エンゲルかもしてない。更にドイツ人捕虜の一人にヘルマン・ドーネルがいたと友人から教えてもらった。ヘルマンは、大阪外語大学を創設した中目 覚に招かれドイツ語の教授となって、神戸に住んだ。ヘルマンにはもう一つの顔があって、地理学者でもあった。同じく関西のもう一人の地理学者エドワード・ガントレックと共に秋芳洞の調査を行っている。ガントレックの妻恒子は、山田耕筰の姉であり、弟が東京音楽学校へ行く前に通った関西学院に通わせた。関西学院の校歌を作曲した山田耕筰は宝塚音楽歌劇団の指揮もしている。こうした縁が繋がって城ヶ島の雨は三人の作曲者がいる。日本人二人はご存じの方も多いだろうが、もう一人の作曲者はヨーゼフ・ラスカであったことを知る人は少ないだろう。私も今年二月に知ったこと。ラスカに城ヶ島の雨の歌詞をドイツ語に翻訳したのがヘルマン・ドーネルという。もう取り壊しになってしまった旧エマヌエル・メッテル邸宅にはレオ・シロタ、貴志康一などが訪れていたので、宝塚音楽歌劇団の指揮をしていたラスカもメッテルの家に出入りしていたかもしれない。メッテルの妻エレンは宝塚音楽歌劇団の教授だったし、貴志康一はラスカに音楽の手ほどきを受けていたのだから。いずれにしても、関西の音楽について、殆ど知るところがない。もっと知りたいことが隠れているようです。