時空列車に乗れたら1935年10月6日に行ってみたい
1935年10月4日の大阪毎日新聞に神戸女学院教授ラスカ氏上陸禁止ーの報道がある。8月16日から一か月半の万国音楽大会に日本代表として出席したラスカ氏は、取り調べの後2日後には強制送還となってしまった。ーという記事である。本人にも理由はわからないのだが、神戸女学院でもわからなかった。唯一の手掛かりは、妻エレンの手記で「イーゲーファンベルの役人たちによって・・・ユーハイム喫茶店の集まりで、反ヒットラーの話をしていた在日ヨーロッパ人が狙われたらしい。」との記録がある。それにしても、謎である。果たして、日本の特高が1925年成立した治安維持法に基づき組織的に行動していたとしても、どうやってドイツ人のタレコミを入手したのだろう。例えば、1940年にゾルゲ事件が発覚し、アレクサンドル・モギレススキー、レオ・シロタ、クラウス・プリングスハイムの次男、関屋敏子ら音楽関係者が取り調べを受けた。特高は音楽関係者には目を付けていたことが覗える。何故だろうか?イーゲファンベルは第一次世界大戦で毒ガスを製造し、第二次大戦では収容所に毒ガスなどを大量に売り込み財を成した。邪魔者は消してしまえという方針だったのだろうか。ナチスが政権を得たのが1933年、翌年ヒンデンブルグがなくなりヒットラーが完全支配してやりたい放題になった。1938年オーストア併合で、ラスカはゲシュタポに連行されてしまう。ドイツ軍のピアニスト不足のためにードイツの事情がそうなのか?日本の事情は1933年三船留吉の推薦を受けて日本共産党に入党した伊藤律が、三船の密告で逮捕され、1934年執行猶予付き判決で釈放されたが、1935年5月に大阪府堺市にある堺化学工業に勤めた。そこでもオルグに従事していたようで、三船たち特高もマークしていた。三船は小林多喜二を売った男で、戦後はGHQから金を受け取って、伊藤律をスパイに仕立て上げた男だ。他にも宝塚歌劇団のラスカへの冷たい対応。松竹と親しく、山田耕筰に恨みを持つ男の存在など、多重の思惑が絡んでいたのではないか?この謎を解くために1935年の10月に時空を戻してみたいのだが。今年はN響100周年だそうだ。この事件は90年前のことだが、日本の音楽に深くかかわった外国人たちがいたことを忘れてはならない。