埼玉県久喜市

 

 

JR宇都宮線・東武日光線

栗橋駅から徒歩で1分

 

ほぼ駅前です。

 

 

静御前は 舞を職業とする

白拍子・磯禅師の娘。

 

室町時代の『義経記』には

後白河法皇の雨乞いの儀式で

雨を降らせたことから

法王より「日本一」と称されたと

記されています。

 

 

 

 

とてもきれいに

手入れされています。

 

 

 

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では

石橋静河さんが演じていましたね。

 

 

手水舎

 

 

 

 

静女之墳

 

享和3年(1803)5月

武蔵国栗橋宿に静御前の墓がないことを

哀れみ 勘定奉行・関東郡代の

中川飛騨守忠英が建墓。

 

 

旧墓石

 

 

 

 

静女塚碑

 

明治20年(1887)

この地の村人が舞姫として

静御前のことを後世に伝えるため

撰文を岡千仞氏に依頼し建立。

 

義経を慕い この地で逝った静御前の

逸話が記録されています。

 

 

坐泉の歌碑

「舞蝶の 果や 夢見る つかの蔭」

 

文化3年(1806)3月

村人が建てた歌碑

 

元禄のころ

坐泉(江戸時代の歌人)がこの墓に来て

静御前の亡きあとを思い歌ったもの

 

 

右)静女所生御曹司供養塔

 

愛する義経の子を身ごもり

男子だった為に頼朝の命で

由比ヶ浜の砂浜に埋められました。

 

左)義経招魂碑

 

昭和4年(1929)9月15日

(静御前の命日)

小谷部全一郎氏が

静御前の霊を慰めるために建立。

 

 

 

 

 

静御前は 

奥州平泉の藤原秀衡の下へ逃れた

義経を追い平泉を目差したと言われています。

 

その途中 旅人から義経が自害したと聞き

京に戻ろうと歩き始めたものの

下総国伊坂(埼玉県久喜市伊坂付近)まで

戻ったところで 病に倒れました。

 

文治5年(1189)9月15日

この地で短い生涯を終えました。

 

静御前と人生を共にした琴柱(侍女)

 

琴柱は静を弔ったのち京に戻り

静の御持仏(地蔵菩薩)を背負い

伊坂(埼玉県久喜市伊坂付近)の

草庵に帰り この仏を

静菩薩堤の信仰として一生弔いました。

 

スタンプボックス

 

扉を開けたらスタンプが入ってました。

日光街道宿場めぐり「栗橋宿」の

スタンプみたいです。

 

 

静御前の墓所は全国に

数カ所あるみたいです。

 

ここ栗橋の静御前の墓も

もっと ひっそりとしていると思ってました。

地元の方々の心が伝わります。