【犬を抱いた少年兵】
戦後独り歩きした写真がある。
「犬を抱いた少年兵」と呼ばれた写真が、知覧特攻平和祈念館に展示され、映画の宣伝などに使われ更に有名になった。
写真に写っているのは、出撃を控えた十七歳から十八歳の五人の特攻兵だ。
写真中央で、十七歳の荒木幸雄伍長が子犬を抱き、はにかむような微笑浮かべている。
その右から手を伸ばしているのが、千田孝正伍長である。
子犬が捨てられているのを士官が見つけ、左端の早川勉伍長たちも可愛がった。
後ろの左側で白い歯を見せているのが、高橋要伍長。いずれも十八歳である。
後列右側の高橋峯好伍長は十七歳で、撮影の瞬間に目を逸らし、おどけているように見える。

少年たちは十二人で構成された第七十二振武隊の特攻兵である。
彼らは翌日の昭和二十年五月二十七日、九機編成で万世基地から沖縄へと飛び立ち、全員が帰らなかった。
カメラを向けられ、少年が笑いかけたのは出撃前日である。

当時は出撃地が極秘とされた為に、撮影地が新聞に記載されない。
その為に、多数の出撃機が飛び立った「知覧基地」と誤解されたのだ。
しかし、山下夫妻には五人のはっきりした記憶がある。出撃前に飛龍荘を訪れているからだ。
女将のソヨは千田伍長の言葉を忘れられない。
「あなたたちはいいねぇ。この綺麗な星空も今夜が見納めだ。おふくろたちはどうしているかなあ」

第七十二振武隊の隊員たちは「朗らか隊」と呼ばれるほど明るい青年が揃っていて、歌の聞こえない日がなかった。
飛龍荘の前で、千田ら少年兵と手を繋いで「夕焼け小焼け」を唄い、やがて「同期の櫻」の大合唱となる。
  ♪
貴様と俺とは 同期の櫻
同じ航空隊の 庭に咲く
血肉分けたる 仲ではないが
なぜか氣が合うて 別れられぬ

万世基地で千田機の整備にあたる「機付長」宮本誠也軍曹の言葉である。
「五月二十七日は我々にとって恐ろしい日でした。
夜明け前の午前四時五十五分。「始動!」の号令がかかった。
風防からみえた千田の顔は笑っているように見える。
万世基地の上空を一度大きく旋回して、沖縄の海へと飛び立って行った」

氣が付くと、宮本は千田からその朝、手渡された風呂敷包みをぶら下げていた。
其処には飛龍荘で作ってくれた弁当が入っていた。
千田が言い残していた。
「せっかく作ってくれた弁当です。代わりに食べて下さい。僕は三時間すれば突っ込んでいますからね」

千田はあの写真の中だけでなく、わずか十八年の人生のうちに、多くの思い出を人々に残した少年であった。

「同期の櫻は唄わせない」清武英利著より。

「頂門の一針」より転載します。
【紙媒体の新聞、もうだめぽ】

最早、紙媒体の新聞の命運が尽きようとしている。
地方の方はピンと来ないかもしれないが、電車に乗って辺りを見回せば一目瞭然である。
電車の乗客のほとんどが、今や、スマホかポータブル端末を開いて夢中になっているのである。
紙媒体のものを読んでいる人は、文庫本がほとんどで、雑誌も新聞も、読んでいる人は本当に見かけなくなった。
時折、紙媒体の新聞を読んでいる人を見かけて、目を凝らしてよく見てみると、聖教新聞やしんぶん赤旗だったりする。

勿論、一般紙も見かけるのだが、日経であることが多い。これには理由が有って、聖教新聞もしんぶん赤旗も、インターネット配信のデジタル版が無いからに他ならない。
しんぶん赤旗は、財政的な理由でデジタル化出来ないようだが、聖教新聞は、多分、印刷させている毎日新聞社などの各新聞社印刷局への配慮からデジタル化に移行していないものと考えられる。日経は、駅の売店で購入する割合が高いためである。

ところが、それがデジタル紙面のスマホなら、折りたたんだり、ページをめくる必要は皆無である。
もし、拡大したい箇所が有ればズームで拡大すれば良いのである。
今迄、周囲の人間に当たらないように、怖々と新聞をめくっていたのが馬鹿らしくなるくらい、スマホやポータブル端末は便利で、電車内で読むのに適している。

こうなると、通勤・通学する世代は、紙媒体の新聞からデジタル版にどんどん移行していくだろう。
紙媒体の新聞を愛読するのは、自宅でのんびりくつろいでいる主婦か高齢者ということになろう。
しかも、若い世代は、紙媒体の新聞を忌避する可能性が出て来た。

さて、紙媒体の新聞というメディアが著しく縮小、もしくは滅亡ということになった場合、いかなる社会的影響、変化が出てくるだろうか。
まず、営業力やブランド力で支えられてきた発行部数による社会的影響が無くなる。
例えば、かつては、読売新聞なら1000万部、朝日新聞なら800万部の発行部数を誇った。
つまり、それだけの人々への情報提供媒体として君臨していた訳である。

ところが、インターネットを介してのデジタル版は、発行部数に替わってサイトへのアクセス数が重要となった。
サイトへのアクセス数は、かつてのような新聞拡販の為の営業力や「親の代から」とか「クオリティペーパーだから」といったブランドの力では稼げない。
ネット検索上の技術的テクニックが有ることは有るようだが、一番のアクセス数向上の近道は、口コミである。
いかにネット上で、シェアされ、リンクが貼られ、「いいね!」が押されるかにかかってくるのである。
そうなると、ネット上で好まれる論調や記事がアクセス数の上位に上がってくる。
そこで、従来の新聞社としての社会的影響力が格段に変化した新聞社が有る。

産経新聞である。
産経新聞は、今もって、発行部数が200万部に遥かに届かない。
しかも、大阪近郊と東京近郊以外は、ほとんど見かけない。
地方に行って自分が困るのは、駅の売店やコンビニ、ホテルのフロントに行っても、その県の地方紙は販売されていても肝心の産経新聞が入手出来ないことが多々有ることである。
産経新聞は、実は全国紙ではないのである。

ところが、ネット上での産経新聞の記事の影響力は凄まじい。
掲示板やブログ、ツィッターやSNSにどんどん引用され、リンクが張られ、シェアされている。
かつて、産経新聞の論調は、それこそ、ごくごく少数の好事家ぐらいしか共有されていなかったのであるが、現在は、「産経新聞によると」ということで、ネット上に広く拡散されているのである。

先月の、いわゆる「河野談話」に関してのスクープ記事も、かつてのような、インターネット不在の時代であったなら、巷の話題にもならない代物であったろう。
ところが、現在は、「紙媒体の新聞」としての産経新聞は読まなくても、ネット上で産経新聞の記事に触れている人は膨大な数に上っているだろう。
新聞社も、儲かってナンボの企業であろうが、その論調が社会的に影響力を広く及ぼすということを主眼に置くとするならば、産経新聞はネット社会に於いて「大化け」したのである。

一方、「新聞の雄」であった朝日新聞は、相対的に大きく社会的な影響力を減少させてしまった。
いち早く、デジタル版への記事の囲い込みを行った結果、リンクを貼ってくれる人がネット上で減少してしまったのである。
慌てて、「ここから先は有料」という記事を減らしてきた。
産経新聞は、その点、したたかに、掲載記事を比較的早期にネット上にアップしている。

ネット上での新聞と紙媒体の新聞の決定的な差異は、紙面構成や見出しに於ける編集権である。
新聞の第一面のトップに、どのニュースを、どれだけの大きさで、どのような文言の見出しを掲載するかというのは、優れて、その新聞社の論調を表現している。
だから、その新聞社が、読者に強く認識させたい事柄を紙面構成や見出しによって誘導することが可能であったのだ。
ところが、ネット上では、確かに、サイトの上位に「一押し」の記事を持って来ることは出来るが、紙媒体の新聞の一面トップ記事のような扇情的な影響力は持ちえない。
ネット上では、単なるベタ記事が、不思議とアクセスランク上位に躍り出るような椿事も充分に起こり得るのである。

現在、新聞業界に於ける論調の主流は、左翼・リベラルである。
朝日・毎日・中日(東京)・日経、そして北海道・西日本・京都・河北といった地方新聞は軒並み左翼・リベラルである。
地方紙に於いては、共同通信の記事の配信が有るので、通信社の論調が左翼・リベラルであることの影響が大である。
ほんのついこの前までは、読売も比較的、リベラル的であった。

ところが、ここ最近、靖国神社参拝容認を除いて、著しく保守派へ舵を切った。だから、現在、産経と読売が保守派の論調である。
朝日新聞の最近の論調は、もう、金切声のヒステリックである。
特定秘密保護法、集団的自衛権容認、原発再稼働といった事柄になると、もう、明日にでも「世界の終末」が襲来するかのような論調である。

左翼的な政党とも云える、生活の党や民主党を含めても、議会内での影響力は限定的になったしまった。
しかも、生活の党や民主党は、時と場合によっては自民党に同調してしまうことも有るのである。
最早、絶対反対、断固反対というスタンスは、社会的影響力を減じつつある。
更に、紙媒体の新聞を愛読し、ネットでの情報収集に依存しない数多くの高齢者層は、毎年毎年、その数を減らしていくことになる。
いくら、高齢化社会になり、「老いてなお、意気ますます盛ん」といった高齢者が増えたとはいえ、かつてのような行動力や経済力は誇示出来なくなるだろう。
現に、七十歳代も半ばを過ぎると、急激に身体能力が落ちていく。

自分は、左翼が「頓死」するとは思わないが、現時点では、その影響力はどんどん漸減傾向にあると思う。
その原因の有力な要素として、紙媒体の新聞というメディアの黄昏があげられると思う。
最早、紙媒体の新聞というメディアは、その寿命が尽きようとしている。
宅配といったコストも高くついているし、現行の紙媒体の新聞というメディアは維持不可能だろう。

但し、かく申す自分は、紙媒体の新聞というメディアが大好きなのである。
何しろ、小学生の頃から朝日新聞の政治面を読みふけっていた人間である。
紙媒体の新聞というメディアを毎日読み込んでいくというのは、骨の髄まで染み付いた習慣なのである。
毎朝、紙媒体の新聞が郵便受けに入らなくなり、駅の売店で紙媒体の新聞が販売されなくなったら、とても寂しく感じると自分は思う。
白井裕一