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今朝も目が覚めて一番、彼を思い出すことはなかった。
「あ、今朝も思い出していない...」って考えるわけだから、
相手のことは脳内に浮かぶんだけれど、
ただ浮かぶだけ。
*** *** ***
今日はスタジオで身体を動かしてエネルギーを回して来た。
スタジオに行く道すがら、気がついたことがある。
相手へのネガティブなエネルギーを切り捨てていったら、
浮上してくるものがあった。
それは、
「好意のエネルギー」。
「好き」というワードは浮かばない。
でも、相手に対する好意のエネルギーが湧いてきていることを感じた。
再会時に交わした言葉を思い出して(※)ニヤついている自分に気が付く。
ちょっと気持ち悪い笑
※「これから〇〇〇〇〇〇どうするの?」っていうやり取り
自分の内側から浮上してきた「好意」に気がついて、
「やっぱり私は彼の事が好きなのか...」って再認識。
戸惑いの気持ちも湧いてきた。
だって相手へのネガティブな気持ちを手放して、やっと軽くなったと思ったのに...
どうしよう。まあいいか。
自分の手を感じて「自分に愛されたい」
という気持ちに気がつく直前、
彼が私の手を顔に寄せて、
「愛おしい」と言っているシーンが脳裏に浮かんだ。
実際そういう場面になったとしても、
素直にその気持ちを受け取れないだろうと思った。
抵抗が出るというか。
でも自分からの「愛おしい」なら違う。
素直に嬉しいと思った。
それで、あの気持ちに気がついた。
そして、もっともっと自分を愛していこうと思ったのだ。
*** *** ***
だからもう、自分が100%幸せじゃないと嫌だと思った。
どんなに幸せでも彼に会えないことで、残りの1%が埋められなかった。
そんな自分はもう嫌だと思った。
外側の出来事で自分の幸せが左右されるのはごめんだ。
彼に会えなかったとしても、私は100%幸せでいたい。
だから「彼に会えなくて淋しい私」を手放すことを決めた。
そうすることができて、やっとわかってきた。
「自分を愛する」
という事の意味が。
これまで、
「幸せだけれど、たまにどこか欠けたような感覚に陥る」
って伝えると、それを伝えた人たちからは必ずこう返ってきた。
「そう感じるのは自分への愛が足りていないから」
って。
その時の私にはわからなかった。
会いたい人に会えなくて「淋しい」と思うのは当たり前のことじゃない。
それのどこが自己愛が足りていないことになるの?
って理解できなかった。
でもそうではなかった。
「自分は自分で幸せにする」って決めたら、その意味がわかってきたのだ。