予言と言うのは未来を当てる、予想することである。

預言と言うのは神から預かった言葉を伝えることである。


自分が生まれた時の容姿、健康状態、両親は自分で決められない。


生まれた時代や場所も決められない。

厳しい時代や環境で生まれ育った。

努力ができる環境にはない。


他者に見下されている。


そう思う時、明日が来て欲しくないと願う時

あなたが聞きたいのは予言?

それとも預言?


予言を聞けば将来を絶望してしまうかも知れない。

自暴自棄になってしまうかも知れないが、

諦めがつくかも知れない。


預言を聞けば、それなら何故この世界はかくも不平等であるのか。

何故、正義が行われないのであろうか。

何故、見下され、支配されて生きていかなければいけないのか。

そう感じるかも知れないが、もしかしたら自分は愛されて、生きている価値があると思うこともできよう。


神の言葉を伝えることはできないが、

親切という選択はできるのではないか。

励ますという選択はできるのではないか。


結局は予言でも預言でもないが、

私の占いは、かくありたい。



断食をして1週間目に光を見た。

天使と神を感じた。

それは言葉通り神々しい経験だった。


あの段ボール箱にいるボロ着のホームレスは

天使と神を感じているのだろうか。

清貧とは彼等のことなのか。


「あなた方によく言っておく。

これらの最も小さな者の一人にしなかったのは、私にしなかったのである。」

(新約聖書 マタイ25 「最後の審判」)


私は彼等が飢えたり、渇いたり、旅をしていたり、病気であったり、牢屋にいるのを見て、世話をしたことがない。


私は永遠の刑罰を受けるべき者なのだ。


予知夢と現在

私は予知夢を良く見た。夢を覚えているわけではない。

その言葉、その事象。

その時に予知夢を思い出すのだ。

あ、これは夢にあった。次に起きる状況が鮮明に見える。

そして、その通りになる。

戦争や疫病とか言う何か大きな事象の予知夢ではない。

ただ、自分は運命の通りに生きていると言う

安心感を得られる事象に過ぎない。


今、予知夢を見ることは無くなった。

見ているのかも知れないが、それに気付ことはない。

今は過去にタイムスリップした夢を見る。

夢の中では過去ではなく現在である。

目が覚めると自分が行った選択と別の選択をしていたら、今どうなっていたのだろうと思う。


それは来世で考えるとしよう。