今から40年前、奥羽本線に旧客が走っていた頃。
吹雪の夕方、大曲駅に入ってきた列車に乗ろうとしたら、ドアが凍り付いてびくともしない…
どうしようとうろたえていたら、通勤のオジサンたちが交代でドアをキック。
雪国で生きていく厳しさを思い知りました。
現在はきれいな電車になって、ドアは押しボタンで開きますが、列車が短くなりました。
大館は渋谷のハチ公の生まれ故郷で、駅ナカにハチ公神社、駅前に銅像があります。
飼い主が死んだ後、10年もの間、毎日渋谷の駅前で帰りを待ち続けた話は、子供心にもあわれに思ったものです。
一年余り一緒に暮らしただけで、そこまで想ってもらえるとは、本当に可愛がったんだろうなあ。
一方で「忠犬」というコトバには、ものすごく抵抗があります。
渋谷にハチ公像ができたのは1934年。前年には国際連盟脱退、満州国で溥儀が皇帝になって、日本がどんどん孤立していた時期です。
修身の教科書でハチを題材に「恩ヲ忘レルナ」なんて、息苦しさしか感じません。
と思っていたので、昨年暮れの日経土曜版で「来年は戌年 感動の忠犬像に会いに行こう」との特集にはのけぞりました。
経営者とか管理職とか、忠犬願望は根強いのでしょうね。
自分が忠犬になりたいヒトもおられるのでしょうが、部下が忠犬になることを求めるタイプ…勘弁です。
犬って、愛があるかどうかで人間の扱いが明確に違うと思うんですけど。
花輪線の盛岡行き
この秋田犬は少しコワい感じ。
秋田行きの特急つがる
雪の中を孤独に待ち続けるハチ公あわれ。
ハチ公の隣の秋田犬群像は幸せな家族に見える。
駅構内のJRハチ公神社は旅客の安全祈願とか。なるほど。
駅改札横のきりたんぽ。お土産に買って帰りました。
後方のスクリーンでは「待ち合せハチ公ガールズ」も出ていましたよ。
鷹ノ巣駅には思い出があります。
学生時代はじめての秋休み、北海道まで乗り鉄に行きました。
上野7:10発奥羽本線経由の急行「おが1号」で秋田16:50着。
当時はどこにでもいたキハ58でした。
秋田で17:41発641レ大館行に乗り換え。
ED75が牽引するオハフ61などの客車列車です。
秋田を出た時は立ち客が多数いたのに、八郎潟でどっと降りて、乗車効率20%ほど。
東能代で高校生が多数乗ってきたものの、鷹ノ巣駅で全員降りてまったくの無人。
20分余り停車なんてはじめての経験…時間を持て余して、最後尾から機関車までホームを歩いてみました。
6-7両あったのでしょうが、どの車両もからっぽで、夜の冷え込みの中、寂寥感でいっぱいになってしまいました。
2両目にただ一人、暗い白熱電球の下でマンガを読む男子高校生が。
この子は3年間一人車中でこうして過ごすのかと、胸がいっぱいになりました。
秋田方面からフレートライナーが追い越して行きます。
乗っていたコンテナはわずか4個。
貨物の国鉄離れに不景気が追い打ちをかけていました…
(1978年の貨物時刻表によれば、梅田発札幌行きの高速コンテナ列車だったようです。)
40年ぶりの鷹ノ巣駅は、寒かった。
暖かい季節に来ると、また印象が違うのでしょう。
東北新幹線ができる前は、上野から秋田に行くには福島から奥羽本線に入って、米沢、山形、新庄、湯沢、横手と北上したものです。
横手の次が後三年。
「後三年の役」(1083-87)では、清原氏の内紛に源義家が介入して、藤原清衡を助けたとか。
最近の教科書では「後三年合戦」と書いてあります。
<追記>
「役」と「合戦」の違いについて(地元横手市のHPより)
『広辞苑』によると「役」は(人民を役夫として徴発することからいう)戦争のことで、「国」対「朝廷に背く敵」との戦いという意味になります。一方、「合戦」は、敵・味方が出会って戦うことで、つまり、双方とも対等な立場にいるという意味です。