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わんわんののんびり生活

由緒正しい雑種の野良犬です。
人間達は、どうしていつもあくせくしているのだろう?




昔、1970年代の後半頃に三大豪雪路線はどこか知っているかと聞かれたことがあります。
場所は北海道のユースホステルで相手は乗り鉄をやっているおじさん、と言っても3月に吹雪の中をうろうろしていたので、まだ学生だったのでしょう。
彼は只見線、飯山線、米坂線の3つだと言いました。

この話を思い出したのは、先日森宮野原駅で最大積雪7.85mの標柱を見、小出駅で只見線が大雪で一部運休になっているのを見てからです。

ネットで三大豪雪路線を検索しても出てこなくて、はてあれは彼の個人的意見だったのかと考えていました。


飯山線は最大積雪記録があるので、文句なく当選。




只見線は5月2日現在も只見‐会津川口間が大雪で不通になっており、これも尋常ではありません。大白川-只見間も並行する国道が冬季通行止めとなっており、更に説得力を増しています。




残る一つですが、米坂線、上越線、そして当時は深名線も候補に上がったのではと思います。


深名線は乗らないままなので、コメントを控えさせていただきます。


米坂線は大雪の直後に乗って、小国から手ノ子にかけ、あちこちに保線担当がいて、列車を走らせる苦労を感じました。

現在は大雨災害で長期運休中なのが残念です。

私が推したいのが上越線。

1970年代は新幹線も開業しておらず、特急急行が多数走って堂々たる幹線でした。除雪もかなり手間とコストをかけてがんばっていました。当時は第四次運転規制とか、豪雪で長距離優等列車は運休でも通勤通学の生活列車は動かすとか、東京の新聞にも出ていたのを見た覚えがあります。防護柵いっぱいの雪がこぼれ落ちそうな中、本当によくやっていると感心していました。


ということで、私の三大豪雪路線は、只見線、上越線、飯山線です。

5月に入り暑くなってきたのに、寒い話題で失礼いたしました。

越後川口を出た水上行は、ほどなくブザーが鳴り出し緊急停車。
小出駅構内で人が線路に立ち入ったそうで、越後堀之内駅まで行って停まります。
越後湯沢から新幹線で帰るので、指定券を持っており、一時間ほど余裕をみていますが、やはり心配。
「只見線大白川行は、この列車の到着を待って発車します」と、ローカル線らしい、暖かいアナウンス。
只見線は大雪で大白川~会津川口間が長期運休なので、会津若松行最終列車も大白川止まり。
一日5本しかないので、待ってあげないと気の毒。
「水上での接続は待ってもらえるんでしょうか」と車掌さんに聞きに来るご婦人もいて、18きっぷで旅しているのでしょう。
水上からは一時間に一本出ているから心配ないですよと言ってあげたかったけど、余計なお節介はやめておきました。
40分遅れで運転再開。
 
只見線ホームに大白川行が待っています。
途中、浦佐、六日町、塩沢で、まとまった乗り降りがあり、上越国際スキー場前でスキー客が数十人乗車。
駅のホームで長く待たされて寒かったと言い合っています。
車掌さんは車内を回って、越後湯沢までの乗車券を発行で大忙しです。
精算所の混雑緩和になるし、列車の収入にもなりますね。
越後湯沢でどっと降りて、列車は水上に向けて発車します。
私も新幹線に乗り換えましたが、夕方18時の東京行はスキー客で満席。
改札もお土産も大混雑でした。
おそばを食べて、家に笹団子を買い、車内でひたすら寝ていました。
何とか無事に帰って来られたことに感謝です。
 

 

 

十日町駅を発車した越後川口行は、途中高校生たちがパラパラ下車して、乗り鉄だらけで終点に到着。
やはり上越は雪が多いです。

飯山線ホームに越乃Shu*Kuraの駅名標がありました。

 

ほどなく上越線水上行が入ってきます。
 

 

 

 

森宮野原を出た十日町行きは津南を経て、無事に終点十日町に到着。
乗車効率は50%くらい。
高齢者の乗り鉄が半分以上いて、外を見たり、無邪気に写真を撮ったり。
ローカル線がにぎわっているのは、いいことです。
十日町駅では、向かいのホームに越後川口行のキハ110単行が待っています。
森宮野原方面からの乗り鉄組は、ほとんどがこちらに乗り換え、ほぼ満席。
学校帰りの高校生も乗ってきて、立っています。
ほくほく線に乗れば、六日町、越後湯沢はすぐですが、乗り鉄なので上越線経由の乗車券を買ってあります。
通学と乗り鉄で、数名立っている状態で十日町を発車しました。
 

 

森宮野原駅に戻って、駅前の震災復興記念館絆(きずな)に入ります。
東日本大震災の翌日、2011年3月12日未明に、長野・新潟県境を震源とするM6.7、震度6強の地震が栄村を直撃しました。
村の大多数の住宅に被害があり、8割の住民が避難生活を強いられ、道路や飯山線は寸断されました。
 
震災発生時は東京にいて、職場から歩いて帰り、何度も余震がある中、津波や原発のニュースとともに栄村の地震を知りました。
記憶はあるのですが、お店に食料品がなくなったり、放射能の雨がふったり、計画停電で、自分のことで精いっぱいでした。
そのような中、ここではじめて当時の被害と復旧復興、地域のみなさんのご尽力を知りました。
東京に大地震がきたとき、ここまでできるだろうかと思いました。
 

列車の時刻が近付いて、越後湯沢からのバスが到着します。
地元らしき乗客が数名下車。
十日町方向から戸狩野沢温泉行きが到着。
運転席に保線担当の方が乗って、沿線の雪崩リスクをチェックしています。
飯山方向から十日町行きも到着。
左側の赤い車両は快速おいこっと用。
戸狩野沢温泉行き普通列車に併結しています。
さすがにきれいにしていますね。