1970年代の終わり頃、国鉄に4つの連絡船がありました。
青函連絡船、宇高連絡船、宮島連絡船、そして仁堀連絡船です。
仁堀連絡船は呉線の仁方駅と予讃線の堀江駅に接続していましたが、一日3往復しかなく、はっきり言って影が薄い存在でした。
当時は本四架橋も全通しておらず、広島県のあちこちから四国行きの船が出ていました。
大学に入って最初の夏休み、近くの駅で仁堀連絡船経由松山行きの切符を買いました。
呉線に乗って仁方駅で降り、5分ほど歩くと仁方桟橋があります。
近くの島に行くフェリーにまじってJNRマークのフェリーがありました。
定員200名に対して乗客は30名ほど。
自動車24台を積めるところ、乗っていたのは数台だったように思います。
晴れておだやかな日で、堀江までは非常に快適な船旅でした。
ところが堀江駅から松山行きは1時間待ちで、連絡船から乗り継いだ乗客は他におらず。
こんなことでは乗客が増えないと、残念に思いました。
仁堀連絡船が廃止されたのは1982年6月。地元自治体から反対の声もなかったとか…
当時を懐かしみながら、仁方桟橋を訪ねてみました。
桟橋の自動ドアを入ると無人の待合室です。
仁方桟橋からの定期船は橋の開通により2008年に全て廃止されています。
ここにフェリーが着いて自動車が乗降りしていました。
仁堀連絡船もここを使っていたのだか…40年近い昔のことで、よく覚えていません。
向こうのフェリーは、ただ係留されているだけのようです。
浮き桟橋の向こうに安芸灘大橋があり、本州と下蒲刈島を結んでいます。
橋の向こうに見えるのは上蒲刈島。とにかく島がたくさんある地域です。
無人の待合室で一休みしていると、宅配便のお兄さんが入ってきました。
荷物の届けかと思ったら、トイレで用足しして、すぐ出て行きました。
船が来なくなった桟橋の待合室は、誰のために開いているのか…
廃線の駅みたいなものですね。
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