パート2からの続きです。
「叔父の死から考える」
父の兄夫婦には子どもがなく、夫婦が病気で相次いで倒れ
別々の施設と病院に入りました。
子どもがないので父が色々と手続きをし、お世話をしました。
数年後、両方とも亡くなったとき、自分の人生の終末が見えました。
「これは未来の自分だ!」
ガーン!!
孤独死
友達もおらず、社会からいなくなっても誰も気付いてくれない
民生委員に死後何ヶ月か経ってから
最近見かけないが・・・ と発見される
こんな映像が脳裏に見えました。
「え、これって本当に自分がしたかったこと?」
そんな映像が見えたら、 ↑こんな疑問がわきました。
「いやいやいや、 違うだろ~!!」![]()
こんなことのために生まれてきたんじゃない![]()
強く思ったのです。
「私がしたかった事は何?」
疑問が浮かびました。
人生が困難すぎて、
問題を解決することに必死で
自分がどうなりたいのか?
なんて考えたことがありませんでした。![]()
「母はドアマット」
母は気が強く賢く聡明であったため、キャリアウーマンであれば
人生が幸せだったのではないかと思います。
が、 「結婚すべき」 という社会の価値観で晩婚し(昭和12年生まれ)
父が次男(上に姉と兄がいる)にも関わらず障害者の弟と祖母と同居
に苦労しました。
毎日ウン○のついたパンツを12枚くらい洗っていました。
母の学びはあったと思いますが、学びきらずに癌で亡くなりました。
今のような心理学やインターネットがなかったし、
学び取るチカラや縁がなかったのかもしれません。
こんな母からもらったのは
「自分のことより他人を優先する」という価値観でした。
そして、自分のことも出来ないのに
他人のお世話(頼まれてもいないのに)をしているようになりました。
「なんか変だな?」
父もそうでした。
母が亡くなり祖母が亡くなり、障害者がいなくなり、父単体で向き合うと
父がかなりおかしいことに気付きました。
私の後をついて回るのです。
「なんじゃこりゃ~??」
父は子どもの頃から、障害者(父の弟)の後を
文字通り追い掛け回していました。
そして世話を焼いていた。
「これをしろ、あれをしろ、これをするな、これを食べろ ゆっくり噛んで食べろ」
障害者(父の弟)にしていたことを私にしだしたのです。
↑
これで私はウツになりました。![]()
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(続きはまた明日m--m)
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