チューニング業界のトップリーダーの
HKSの長谷川浩之社長が9日の夜に
亡くなりました。
HKSがなければ、日本のチューニング文化は
ここまで、世界に誇れるものにはなってなかったと思います。
俺がこの業界に入ったのが25年前
HKSと、共に歩んできたと言っても
過言では無いです。
そんな中、大御所の大先輩たちが
たくさん、いる中で
こんな、俺みたいな半端モンを
長谷川社長様は大変可愛がって
くれました。
毎年のように本社へ遊びに行って
社長室で半日以上、話しました。
その話もバイタリティ溢れる
話で、どこまで頑張るんだろう?
何時も、話を聞くとサボってちゃ
ダメだと、言い聞かされました。
得意の、岡村さんよ〜これは内緒だぞ(^^;;
と、内緒話を相当話してもらえましたよ。
秘書の人が、社長もう時間です。
社長もう時間です。と
何回も呼びに来ても
話に夢中になってた社長を
今でも覚えてます。
そして、帰りにはお土産として
俺の綺麗なZ33のハッチを開けて
岡村さん、おらが作った大根と白菜
朝取ってきたから、持ってけ!
と言って、独り者の俺に
大根10本、白菜10個とか頂きました。
そんなに貰っても、困るのに
あの時の、社長の顔は子供の様に
楽しそうでした。
俺と会って話するときは
何時も、楽しそうに未来を語ってました。
今年のオートサロンの時に
あれっ?老けちゃったと思い。
社長、病気しただろ?
と、聞いたらうんまぁなと
言ってましたが、前の元気な社長じゃない
事を、俺は見破ってました。
でも、まさかこんなに早く逝くとは
本当に、驚きと落胆で
ブログに書く事も出来ませんでした。
頑固で、人の話を聞かないおじいちゃん
だったけど、半日いても俺に喋らせる
時間は1時間弱しか話をさせてくれなかったけど、
マレーシアから、シンガポールまでの飛行機の中
眠いのに隣で延々と話ししてくれました。(^^;;
シンガポールでは、コーラを俺にご馳走してくれました。
俺がD1に出るときに応援してくれました。
GTに出る時も応援してくれました。
うちの、一番初めの工場に来たときに
こんな狭いところであんなに売り上げ
上げるのか?と
アッチコッチへ出かけては
ヤシオファクトリーは猫の額程の
場所で、全国で4番目に売るショップだと
言いふらし、
褒められてるのか、どうなのか?(^^;;
2835タービンをかなりの数売った時とか
思い出は尽きません。
本当は、会いに行こうと思ってました。
私事ですが、6月に女の子が生まれたのです。
社長に見せに行こうと思ってたのに
世の中こんなモンです。
何年か何十年か
また会うまで、さようならです。
今まで、頑張りすぎたので
ゆっくりと休んでくださいね。
俺はもう少し頑張ります。
合掌