8月15日は、日本にとっては敗戦の日=終戦の日であるが、

韓国・朝鮮人(以下、韓人)にとっては、解放の日=光復の日である。


他方、我が河家にとっては、アボジ(父)=河祐植(ハ・ウシッ。通名河田祐植)の13回目の命日である。

ここではある在日一世韓人の生涯をたどりたい。


アボジ(父)は、17~18歳の頃、留学目的で渡日した。

故郷の慶尚南道宜寧群龍徳面→釜山→下関ルートである。


しかし、すぐには目的を果たすことはできなかった。

貧乏農家の七人兄弟姉妹の3男坊には先立つ学費が無かったからだ。

ゆえに、すでに出稼ぎ目的で渡日していた兄二人を頼って

下関から九州筑豊の炭坑に行き、しばらく働いたという。


そこで労働仲介屋のような男に声をかけられ、

「昼働けば、夜は学校に通っても良い」

と言われたので飛びついたらしい。

そこは佐賀県の農家だった。

ところがアボジは、朝から晩までほとんどタダ同然で働かされたらしい。

学校にも行かせてくれない。

どうやら騙されたことに気づいたアボジは夜陰に乗じて逃げたという。


その後、どういう経緯かはわからないが、

京都市にたどり着いたアボジは、

朝鮮人がたくさん就労していた西陣織りの住み込み織手見習いとなり、

しばらく働いたらしい。

「とにかく3階の屋根裏の寝床は狭いし、南京虫が多くてかゆし、夏は暑いので寝られなかった」

と私に話したことがある。


やがて東京へ。

同郷の先輩を頼って荏原群六郷村に移住した。

先輩というのが、朝鮮人土方の親方として小林組を名乗っていた祖父(オモニの父)だった。

祖父は、小林徳次郎という通名を名乗り、かなり羽振りがよかったらしい。

管轄の蒲田警察の警官にも知人がたくさんおり(だいたい祖母がタダ酒を飲ませていたらしい)

ちょっとした顔役だったらしい。


以下続く