作品情報 


監督:カート・ウィマー

脚本:カート・ウィマー

出演:ケイト・モイヤー(イーデン・エドワーズ)、エレナ・カンプーリス(ボレイン/ボー)ほか

公開年:2020年

上映時間:93分

ジャンル:ホラー/リブート


あらすじ 


ネブラスカ州の片田舎、トウモロコシ産業が崩壊した町ライルストーン。失われた未来に苛立つ大人たちは農場を潰し、政府の補助金にすがろうとする。そんななか、13歳の少女イーデンは“列の後ろを歩く者”を信仰し、同世代の子供たちを集めて不穏なカルトを形成。怒りと信仰が交錯する中、子供たちによる反逆が静かに始まる。


キャスト・演技 


ケイト・モイヤーはもはや“農村のジハード・プリンセス”。小柄な体に収まらない支配欲と狂気が爆発しており、説得力が異常。演説シーンの眼差しは完全にスターリンのそれ。ほかのキャストは概ね標準だが、彼女の怪演が全てを焼き尽くす。実年齢でここまで怖がらせられるのは才能というより呪いに近い。

演出・映像 


監督カート・ウィマーは、トウモロコシ畑を“神の祭壇”として描く。乾いた色彩と重苦しい音響、ドローンで捉える農村の寂寥感は一級品。だがそれ以上にえげつないのが処刑シーンの演出。模擬裁判が地獄の舞台へと変わるさまは不条理ギロチン劇のようで、胃の腑が冷える。焼け焦げたイーデンの再登場も問答無用のビジュアルパンチ。

深読み解説・考察 


1. キング原作との断絶と共鳴


2020年版『Children of the Corn』は、オリジナル短編の「倫理の崩壊と宗教の腐敗」という主軸をいったん解体し、現代的な社会構造批判へと置き換えている。原作では“ヒー・フー・ウォークス・ビハインド・ザ・ローズ”は宗教的象徴でしかなかったが、本作ではその存在を“自然の神”や“収奪され続けた土地の復讐者”として具象化。人間によって搾取された大地が、子供たちを媒介にして叛逆する構造は、環境ホラーの文脈に極めて接近している。


これは、ポスト・パンデミック時代の“社会的断絶”を示す寓意でもある。感染症、気候危機、経済崩壊――あらゆる現実の“崩壊の気配”が、子供たちのカルト形成という形で結晶化している。つまり、ただのリブートではなく“時代精神の再翻訳”という野心がこの作品の根底にある。


2. イーデン=神ではなく、“神を呼ぶ装置”


イーデンの描写は、単なる狂信的リーダーではなく、いわば“召喚装置”として機能している。彼女が語る「He Who Walks」は実体のない抽象であり続けるが、終盤で現れる怪物は彼女の思想・信仰・怒りの集積そのものと捉えるべきだ。


この怪物が「トウモロコシの化身」であり、「死者の畑から生まれた集合的な怒り」として現れることにより、イーデンは“神を創る存在”へと昇華する。つまり、本作は「子供が神を作る話」であり、これは神話生成装置としての人間を問うメタ・ホラーとしても解釈できる。


3. 収穫=処刑=贖罪:農業ホラーの構造転倒


本作では、トウモロコシ畑が“信仰の場”であり、同時に“墓地”であり、“生贄の祭壇”である。模擬裁判が展開される納屋は“収穫の倉庫”であると同時に“公開処刑のステージ”であり、トウモロコシという命を育む作物が、逆説的に命を奪う象徴へと反転している。


これは、土地に依存する者たちが、その土地によって裁かれるという構造を示している。大人たちは農業を利用し尽くし、金銭と補助金でそれを見捨てた。彼らの最期がトウモロコシの中で終わるのは、自然と宗教の融合による“象徴的な死”でもある。


4. パンデミックというサブテキスト


原題にも副題にも“パンデミック”は一切登場しない。しかし、米国で撮影が行われたのは2020年3月~4月、まさにCOVID-19によるロックダウンの最中だった。町が外界から遮断され、子供たちだけで社会を再構築しようとする状況は、“隔離社会”の寓話である。


さらに、大人たちが一切機能せず、子供たちが急速に社会機構を組み立てていく様は、「若年層が旧体制に替わる新たな秩序を作る」という、ポスト・パンデミック的“リセット願望”を体現している。これは実際に多くのホラー映画が2020年以降に内包しているテーマでもある。


5. エンディングの“焼け焦げたイーデン”の意味


あの焼けただれたイーデンの再登場は、純粋なショック演出ではない。彼女のセリフ「この畑では何も本当に死なない」は、カルト信仰が死を超えて循環することの示唆であると同時に、“思想の不死性”を表している。


宗教も怒りも神も、焼き払ってもまた芽を出す。“Corn(トウモロコシ)”=“Seed(種)”であり、“死んでもまた育つ”という執念がラストショットに込められている。だからこそ、“彼女が焼け落ちていない”のではなく、“彼女は種として生き延びた”と読むのが最もホラー的な解釈だ。


感想 


トウモロコシ畑から“神”が顔を出し、少女がその教祖になる。狂信と権力が子供たちの手に渡ったとき、これほどまでに血なまぐさい寓話になるとは思わなかった。ホラーとしてはオーソドックスだが、ケイト・モイヤーの存在だけで観る価値は跳ね上がる。脚本の雑さやテンポの乱れも、彼女の演技力に圧倒されて霞む。惜しいのは怪物「He Who Walks」の造形がCG臭く浮いていたこと。そこだけが現実に引き戻される。

総評・オススメ度 


スティーヴン・キング原作の再映画化としては、異質なベクトルに突っ走った一作。90年代Vシネ的ゴアと少女支配者ホラーのハイブリッド。カルト映画の素地を持っているので、ケイト・モイヤーにピンと来たら必見。脚本や構成の粗さは覚悟のうえで。