14年前、私は製薬株式会社で営業をしていて、その日は幕張メッセで展示会が行われていました。
会社の商品をPRすべく、コンパニオンの女の子と一緒にブースに立っていました。
金土日の3日間開催の初日でした。初日は平日とあって、業者向けで、土日に一般の方も参加できる展示会でした。
まだ入社して10か月ほどでしたので、初めてのことばかりで戸惑いながらも大量の名刺を用意して臨んでいました。
昼頃に本社のある愛知県から会長や社長など重役が様子を見に来ました。平日で初日の業者向けということもあり、盛況というわけではありませんでしたが、他社の新商品も知ることのできる貴重な日でした。重役たちも他社のブースの様子を見たり、誰かと話している様子でした。
3月11日14時頃 私は昼食を取るっために近くのレストランに行きました。30分ほどで食事を済ませ、ブースに戻りゆっくりしていました。
すると、突然、会場内が揺らぎました。地震だということはすぐにわかりました。天井の照明が今にも落ちてきそうに揺れていました。
揺れが収まるまでは、会場内にいた人は床に伏せてじっとしていました。その後は会場の外に出るよう指示があり、とりあえず、外に出されました。
私は外で、何の情報も得られないまま立ち尽くしていた。電話がつながらないし、当時はガラケーでワンセグが見れるケイタイでしたが、電波環境が悪く映らなかった。
先輩社員の一人は揺れが収まった後、機転を利かせて、重役を車に乗せて東京駅に一目散に向かった。甲斐あって重役は本社のある愛知県にその日のうちに帰ることができたそうだ。
間もなくして、津波警報が発令されました。電車はストップし、道路はそこら中で液状化現象が発生、となると交通手段は自動車のみ。海岸から離れるように、みんなが車を動かしたせいで大渋滞が発生しました。車も動かなくなり、歩道も人で溢れていました。
この時、私を含め残された人は7名いました。本部長、社員2名、取引先の重役2名、コンパニオン2名。主催者側から、その後の指示を聞く必要があるため、多くの人が会場には残されていました。
最終的に主催者側からは、展示会は中止となり、翌日以降に片づけに来てほしいと発表された。
そして私たちも帰らなければならない。そもそも津波警報が発表されているのだから、少しでも内陸方面へと進みたかった。
しかし、ここで問題が発生した。今ここには7人いて、私が乗って来た車1台しかなかった。車は5人乗りだ。2人乗れないということになる。詰めて乗ればいけないこともないが、私以外はそれを許さなかった。コンパニオンの女の子を置いていくという手段を取られた。帰る手段が無いので車に乗せてほしいとコンパニオンの子たちも懇願していた。
コンパニオンも一時的とはいえ会社のために働いてくれているのだから家まで送迎してあげたかった。
今でも後悔している。
幕張メッセから東京までは10キロ以上ある。歩いて帰れたのだろうか。
とはいえ、大渋滞しており、営業所のある錦糸町まで8時間かかったので、歩いた方が早かったのかもしれない。
それでも名前も分からないが、もし今会えるのなら、彼女たちを見捨ててしまったこと、もっと強く自分の意見を主張するべきだったことを謝りたい。
地震や津波の情報はカーステレオで入手していました。映像で見たのは翌日になってから。凄惨な光景に目を疑った。
その後しばらくの間、東京ではガソリンスタンドに長蛇の列が並び、仕事どころではなかった。
それからというもの、この会社に貢献しようという気持ちが徐々に薄れ、半年ほどが経ち会社を辞めた。
そして2025年、転職を繰り返し、4月からは新たに地元の商工会で働くことになりました。
3月11日は、毎年、当時を振り返っています。
