宇佐の地名から見る古代史 | 哲也の敬天愛人ブログ

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天を敬い 人を愛す。

天は我も人も同一に愛したもうゆえ、我を愛する心を持って人を愛するなり。

今日は宇佐の地名から古代史を考えようと思います。


徐福http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E7%A6%8F

六社明神http://ameblo.jp/yesidomasuda/entry-10338047350.html


この六社明神の祭神に『大福津日命』とありました。

読みはオホサキツヒノミコトと分かりました。


この神様、調べても分からなかったんですが

yamato011さんからのコメントで

徐福に関係している可能性があることを教えてもらいました。


徐福とは秦の始皇帝の命を受け子どもたち3,000人と

色んな技術者100人を従えて日本に来た、

もしくは日本に移り住んで来た人です。


徐福参考資料

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E7%A6%8F

http://ameblo.jp/yamato011/entry-10345099950.html#cbox


そしてこの六社神社のすぐ近くには

福貴野の滝があります。


yamato011さんからのコメントで大福=徐福ではないか?

そして『福貴野』は福・来・野では無いかと言う指摘を受け

今回地名を調べてみました。


そうするとこの地区は『深見・』『鬼屋敷』・『福貴野』

と言う順番で山間部へ続いています。


こんな仮説を立ててみました。


日本中に散らばった徐福の弟子達が

宇佐平野・別府湾もしくは全然別の場所に上陸し

この地区にたどり着いて生活を始めた。


別府湾上陸・・・別府は温泉が出る関係で土壌に硫黄分が含まれ

稲作が盛んではなかっただろうから山を越えて福貴野に来た。


宇佐上陸・・・古代宇佐ではすでに山間部・平野部とも

稲作が盛んで古代人が住んでいた。よってとてつもない

山間部の福貴野地区しか生活場所が無かった。


古代人との知識の交換など共存共栄していたと思います。

言葉のハンディーはあったかもしれませんが、


知らない知識を教えてくれた可能性があるので

古代人達は新たな指導者(神様)として歓迎した。


そして高天原の指導者(神様)も承諾したと思われるのは

六社明神に祭神として『大真日命』=天照大御神が


共に祭神として祀られているからです。


よって『深見(フカミ)』=『福見(フクミ)』では無いかと。

徐福の関係者が生活をしているのが見える地。


『鬼屋敷』=鬼・屋敷=穏・屋敷となり隠れ住んでいた地区。

昔話を見ても分かるとおり古代の神様は鬼に例えられることがあります。


そして鬼には良い鬼・悪い鬼が居ます。

当然良い鬼の方です。


そして『福貴野』=徐福に関係する者が来た地。

仮説ですが何となく繋がりがある様な気がします。



また、福貴野からちょっと外れていますが

萱籠(カヤゴモリ)と言う地名もあります。


神(カ)・家(ヤ)・籠(コモ)る=神様(指導者)が住んでいた地かな?


では本日はこの辺で。