三女神社遺跡群 | 哲也の敬天愛人ブログ

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天を敬い 人を愛す。

天は我も人も同一に愛したもうゆえ、我を愛する心を持って人を愛するなり。

本日は 『おおいたの古墳と神社』からの抜粋です。


三女神社裏の台地は小字名を『奥城』と言われる墳墓地です。

この台地は明治、大正時代に畑として開墾した際に


多数の朱を詰めた石棺が出土し、

三女神社境内からも出土しています。


安心院町の横穴墓や古墳は安心院盆地の周辺の台地にあり、

出土品は須恵器などで小中学校、個人などに所蔵されているが、


他町からの出土品の持込は無く、

出土地はだいたい判明しているようです。


出土品の多くは三女神社・妻垣神社・

鳥越台地・上の原台地の四地区が中心です。


特に安心院盆地の北岸三女台地に密集しています。

三女神社裏の畑から出土した石棺の中には


二尺四~五寸の鉄の直刀が納められていました。

甕棺・石匙も発見されました。


この境内やその周辺からの出土品は、近くにある

家族旅行村の管理センター内に保管展示されています。


このように、三女神社の広い境内とその周辺は

弥生時代から古墳時代にかけての古代の墳墓の聖地です。


神社境内には、今でも多くの石棺が埋もれているそうです。

三女神社を発掘調査した町の教育委員会の姫野さんの

お話によると、平成3年に県下各地を襲った19号台風で


樹齢800年ともいわれたイチイカシの巨木が倒れ、

根っこから石棺が露出したのがきっかけとなって発掘し、


古墳時代の組立式石棺10基が確認されたが、

ここでは副葬品は出なかったそうです。


このことについて、宮司の安岡正宏氏にお聞きしたら

石棺の調査は町の方がおこなったが、


そのまま埋め戻したということでした。

三女神社側、屋敷北側には三基の横穴墓があるが、


これは保存状態がいいということで、古老の話として、

須恵器の破片が大量に出土して旧道の北側台地に

かますで何杯も埋めたということです。



続きは後日載せます。


この文中の4行目

『多数の朱を詰めた石棺が出土し』とあります。


身分の高い位にあった人物の

古墳の上に三女神社が建っていると思われます。


『安心院』とは気になる地域です。

では今日はこの辺で。