霊障とか。色々な話。 | 蓮伽 - renka -(加持祈祷師 清照)

蓮伽 - renka -(加持祈祷師 清照)

「自分自身」と「自分を取り巻く他者」そして「自然界万物」との友好的なコミュニケーションのために

蓮伽です。



「霊障」があるから、「人より霊感がある」という


短絡的な考え方は光穂先生も清照もしていません。


霊感にも、ピンキリありますから。


私どものところでは、むしろ霊障に苦しむ方ほど、


ご修行が始まったら、建物でいう「基礎工事」をやり直します。


「霊障」のある方には、ある特徴があります。


そこをご自分で理解し、クリアしていかなければ、


その現象から、真に解放される事は難しい様です。


土台がしっかりしてない建物と同じです。



そして、「ご修行」をしたとしても、その結果、


1年で使い物になる事は、難しいと思います。


なぜなら、その人それぞれに潜在能力が違います。


「送信」向きか、「受信」向きかでご修行の仕方は違います。



晴れて能力が現れたとしても、その先がもっと大事なのです。


結局、その「能力」は、


ご神仏から許されたモノであるのか・・・です。


この世の中に、霊的能力のある方はたくさんいらっしゃいます。


ですが、真にご神仏から許可を頂いて、


その能力を使っている方はごくわずかです。


不動明王様は「私たちは許可してないがな・・・」という表現を


お使いになります。



では、どう違うか。


許可を得て能力を使っている方は、「守られ方」が違います。


許可なく使っている方は、身体に影響がきます。


これは、実際にご神仏から伺ったお話です。


天界には、厳しい秩序がある様です。



世間一般に「すごい能力あるね」「よく分かるね」という人は、


大変ありがたきご神仏がご守護して下さっている場合と、


能力のある低級霊がついている場合があります。


能力のある低級霊の場合、霊能者として


高い実力を発揮する時期があります。


ですが、気が変わりやすいので、その人から離れてしまうと


途端に付いていた人間に悪影響を与えます。



ここで述べたことは、ほんの一部です。


語ったらキリがありません。


ご修行するという事は「師」と「弟子」の関係が存在する訳で、


双方が、それらの理論を理解しているか否かで、


伝える側と伝えられる側の現実的な数字面(お月謝)を含む、


感情面の行き違いは、少なくなるかもしれませんね。


この世界、「師」に対して不満を頂きながら、


いいご修行は出来ないと思います。


結局、止まるか進か、決めるのはご自分です。


どうしても進めなかったら、辞めるしかないと思います。


やるか、やらないか、どちらかです。


どの世界もそうですね。


中途半端が一番よくありません。



合掌


蓮