乗れもしない飛行機をぼんやり眺めている場合ではありません。
メキシコに行ってきた話の続きを書かなければ。
このブログの続きです
↓
2025年11月14日(金)
空港のドミトリーに無事に荷物を届けたUちゃんと一緒に、
コヨアカン・プラザに向かいます。
メトロのコヨアカン駅から歩ける、はず。
この日はモイゼスに会う約束をしていました。
モイゼスは2001年の路上演劇祭JAPANに来日したメンバーの一人です。
・プロデューサーであるギジェルモとそのスタッフや家族、
(ギジェルモは2025年の9月に逝去してしまったので、今回は奥様に会ってきました)
これ↓
・Urubana Utopiaという自分の劇団を持っていて、自身でも死者の日の演劇祭を主宰しているロベルト
(今回の居候先でもある)
・毎週日曜日の午後、コヨアカン・プラザの広場で大道芝居?をしているモイゼス
・そして、コンスエロという女性(連絡先が分からなくて、今回会わなかった)
が、2001年のメキシコからの来日メンバーでした。
もちろん、プロデューサーであるギジェルモが選んだメンバーなのですが、
メキシコで一緒に何かをやっているかというと、そうでもないようです。
2005年、ギジェルモの路上演劇祭、teatro Abierto
(Abiertoは開かれたという意味、思想的にとらえてきたけれど、オープンエアという意味なのかもね)
には路上演劇祭JAPANのメンバーが10人以上メキシコに行くということになってしまいましたが、
この演劇祭には、ロベルトもモイゼスもコンスエロも参加していませんでした。
ちょうど、ロベルトの「死者の日の演劇祭」と時期が近かったので、
私は2週間早くメキシコ入りして、ロベルトさんの家に居候して、そちらの演劇祭も楽しんだわけです。
モイゼスは毎週日曜日の午後にコヨアカン・プラザでやっているよ、という情報だけを頼りに、
一人で(正確にはロベルトの劇団の英語が少しできる若手メンバーが同行してくれました。
2005年には、あまり一人で出歩かないようロベルトが気を使ってくれていたのです)
コヨアカン・プラザに行きました。
モイゼスはいました。パフォーマンスの最中でしたが、
「日本から会いに来たよー」といってハグをしました。
…それだけ。そう、それをするだけのためにモイゼスに会いに行った。
たぶん、その後の予定が詰まっていたので、すぐにパンティトランに戻ったのだと思います。
そもそも、
2001年にモイゼスが日本に来た時、
路上演劇祭JAPANのボランティアスタッフ(そんなものがあったのだ!)だった私のタスクに、
「ワークショップ会場のある三軒茶屋で2時間ほど、モイゼスと昼食を取ったりして時間をつぶす」
ということがありました。
ワタクシ、その時はスペイン語が全くできませんでした。(今でも、あいさつ程度だけれど)
モイゼス、日本語はもとより英語もほぼできません。
昼ご飯のメニューは絵を描いて説明したり、ひまづぶしに釣り堀に行ったりして(三軒茶屋にあったのです)、
何とか楽しい時間が過ごせました。
そんなことを思い出しながら、
コヨアカン駅からコヨアカン・プラザに向かいます。
意外と遠かった。
そして、コヨアカン・プラザは意外と広かった。
2005年にはわりとすんなり会えたのに、
コヨアカン・プラザのどこにモイゼスがいるのか、分かりません。
UちゃんがeSIMスマホでモイゼスとチャットをしてくれていますが、
モイゼス、どこにいるんだよー
たまたま、誰もいない時をねらって撮りましたが、
コヨアカン・プラザはけっこうな観光地なのです。































































