CoCoは2006年4月に中国北京で生まれました。
人一倍大きな泣き声の娘だったように記憶しています。
生まれて2年半後の2008年に北京オリンピックが開催され毎日のように競技会場に出かけていました。
それで、会場の観衆が ”加油(ジャーヨウ)”(頑張れの意味)を叫び応援をする様子をまねていつも大声で”加油”と叫んでいたのが大声で応援の始まりだと思います。

北京で住んでたサッカー場が見えるマンション
その後もスポーツ観戦の好きな父親と様々なスポーツの会場に足を運んでいました。
特にスポーツを見るのが好きなわけではなくお菓子を食べながら大声を上げ雰囲気を楽しむのが好きだったのだと思います。
その後、北京の小学校に入学してから大学のサッカー場が見えるマンションの10階に引っ越したのをきっかけに夕方や週末にグランドに足を運びサッカーの練習や試合を見ながら大声で”加油”とか日本語で”ガンバレー”と応援するようになりました。

いつも通っていた、マンション下の大学のサッカーグラウンド
(その2に続く)
CoCoは2006年4月に中国北京で生まれました。
人一倍大きな泣き声の娘だったように記憶しています。
生まれて2年半後の2008年に北京オリンピックが開催され毎日のように競技会場に出かけていました。
それで、会場の観衆が ”加油(ジャーヨウ)”(頑張れの意味)を叫び応援をする様子をまねていつも大声で”加油”と叫んでいたのが大声で応援の始まりだと思います。

北京で住んでたサッカー場が見えるマンション
その後もスポーツ観戦の好きな父親と様々なスポーツの会場に足を運んでいました。
特にスポーツを見るのが好きなわけではなくお菓子を食べながら大声を上げ雰囲気を楽しむのが好きだったのだと思います。
その後、北京の小学校に入学してから大学のサッカー場が見えるマンションの10階に引っ越したのをきっかけに夕方や週末にグランドに足を運びサッカーの練習や試合を見ながら大声で”加油”とか日本語で”ガンバレー”と応援するようになりました。

いつも通っていた、マンション下の大学のサッカーグラウンド
(その2に続く)