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その後、父親の仕事の都合で日本に帰国してからも高校野球やサッカーなどのアマチュアの試合を中心に月に1〜2度、連れて出かけるようになりました。
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そのたびに生まれながらの(?)それとも、騒がしい街、北京で培った大声での応援をしていました。

しかし、ルールを知って競技を楽しむと言うよりお弁当とお菓子を持って雰囲気を味わうピクニック気分での観戦でした。


そして2014年の夏頃だと思いますが名古屋市のスポーツ施設のホームページで名古屋市の港サッカー場でサッカーの試合があることを知り、FCマルヤス岡崎の試合に始めて足を運びました。

それまでも特に応援するチームがあるわけではなく、スタジアムに着いてから自分の住んでいる名古屋に近かったり、ユニフォームの色などたわいもないことで応援するチームを決めていました。


最初にFCマルヤス岡崎を観戦したのはたぶん天皇杯の愛知県予選だと思います。

確かマルヤスの対戦相手はトヨタ蹴球団でした。

ちなみにそのときは応援していたのはトヨタ蹴球団でした。


その後、数週間後に名古屋港サッカー場で何かの大会とJFLの2~3試合行われる日があり。そのとき初めてマルヤスを応援したかと思います。

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座っていた左前にマルヤスのコールリーダーが一人で大声でチャントを歌い応援をしているのを見て自分も負けずとばかり”ガンバレー”と応援していました。

そのときのコールリーダーの応援をみて応援の仕方を覚えたのだと思います。

その後も、そのシーズンは2ー3試合メインスタンドの真ん中から上の方の席で一人で大声で応援していました。


たぶん転機が訪れたのは翌年2015年の5月2日のファジアーノ岡山ネクスト戦だと思います。

いつものように最初から、一生懸命応援していたのですがだんだん調子に乗ってきたというか熱が入ってきた娘は最前列で大声で応援し始めました。

そのときマルヤスのコールリーダーは声出しをされていなくて娘がひとりで声を出して応援をして目立ってしまったのだと思います。

何人かの子供連れのサポーターの方が娘の姿を見て微笑みながら手拍子をあわせてくださったりしていました。



そして、試合が0ー0で後半アディショナルタイム前後だと思います。



試合が終わる間近と言うこともあってか一人で最後の力を振り絞ってひときわ大声を出してFCマルヤスコールを叫んでいました。


娘の声がどんどん大きくなると同時にボールが敵陣の奥の方にどんどん運ばれていきます。



そして、その声がマックスになったときに




・・・・ボールがゴールに吸い込まれていきました。



そして。。



その後、娘が再びFCマルヤスコールをコールすると会場全体がコールにあわせた手拍子につつまれました。


ひさしぶりに味わった鳥肌が立つほどの感動でした。。。


試合が終わってからスタンドにいたたくさんの方から”応援ありがとね”とか”お姉ちゃんが応援したから今日勝てたね、ありがとう”と声をたくさんかけられ、とてもうれしかったみたいです。

帰りの車では”わたしが応援したから勝てたんだ”と満足げに自慢していました。

自宅に帰ってから、twitteの検索でマルヤス岡崎を検索するとたくさんの娘に関するコメントが載せられていて、”今日のMVP”とか”勝利の女神”とコメントされていました。

そのコメントを娘に見せると喜んでまた自慢げに「わたしはマルヤスの勝利のキャンペーンガールになるのよ」と自慢してました。

「わたしが応援すると勝つんだから、わたしが応援いかないといけない」などと家族に自慢しながら言っていました。

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このように、FCマルヤス岡崎のサポーターの皆さんが娘の応援をあたたかく励ましてくださったおかげで、もっともっとマルヤスを応援したいという気持ちになったようです。

(その3に続く)