youtuberの「2すとりーと」さんの動画を何本か見たら、同性愛関係の動画も流れてくるようになったので、少し昔を思い出していました。

 

 

保育園とか、小学校までは、僕も普通に女の子が好きでした。初恋なんか4歳だからね。

 

 

小学校でも類にもれず、クラスのマドンナが好きだった。

 

 

小学校高学年のころ、ポケモンの改造がやりたくて、パソコンをねだり、一週間でエロサイトを巡回する癖がつきました。

 

 

もちろん小学生でしたから、同級生の裸が見たかったんです。なので自動的に児童ポルノを漁るようになり、まずはロリコンになりました。

 

 

中学生に上がるころにはBBSに入り浸り、微々たる分け前をすするハイエナになっていて、ここでもう一つの転機、BBSのスレでショタコン関連の動画をたまたま見て、自分にもついているはずのイチモツちゃんを探すようになり、中二で完全な変態ロリショタコンとなりました。

 

 

でもこの時点でも、同級生の女の子が好きなったりしていて、メールアドレスの交換なんかもしていた半リア充でした。

 

 

塾に通ってて、同級生の女の子が好きだったけど、同じぐらい夢中になったのが、一個下の塾生の男子たちでした。

 

 

かわいかったですよ。あまりにも露骨アピールして避けられてましたけど、好きでした。

 

 

そこから少しずつ男に興味を持つようになり、違う中学校の塾の男の子が気になるようになりました。

 

 

でも一言も話すことなく、中学卒業とともに塾も卒業したので、あれは淡い恋心の芽生え程度で終わりました。

 

 

高校に入り、何人かは同じ中学の同級生がいたので、そこから交友関係ができていったと思います。

 

 

ただ、中学の時も、中世的な男の子や、かわいらしい小柄の同級生もいたはずなのに、恋した記憶がないんです。その時はすでにゲイでありペドだったはず。女の子に興味もなくなり、浮いた感情があってもおかしくないのに、はやり後輩の男の子を目で追う程度しか覚えがないです。

 

 

そんな空白期間はさておき、高校一年生の春、運命的な出会いが二つ。一つは大学付属中学から高校に進学してきた、ボクシングをやってた同級生がいて、なぜか席は離れていたはずですが、仲良くなりました。学校行事ではつるむようになり、放課後も教室に残って話したりしていた。

 

 

もう一人は今も好きな人。しかし一学期中は全く眼中になかった。そのボクシングの子が好きだった。

 

 

でも夏休みはいる前に高校を辞めて他県に転向。少し残念だったけど、スパッと諦められましたね。いまは人生から気づいたらいなくなってたって印象です。

 

 

宮崎県は課外が絶対出席の場所なので、もちろん朝7時から授業があり、土曜日もびっしり入っていて、宿泊学習も毎年あります。ホテルを借り切って、ホールでみんな一斉に自習。眠くて仕方がなかったし、一回もまじめに自習した記憶ないけど。

 

 

その時にもう一人の彼、陸上部の優太君。気にはなってたけど、恋まではいかなくて、かわいいな、と思っていました。

 

 

一年の宿泊学習、彼の部屋着を見た瞬間、普段の制服のギャップも相まって、なんか素敵に見えたんでしょうね。気づいたら目で追うようになり、夏休み課外中にどんどん気持ちが好いて行って、二学期に入るころには完全に惚れていました。

 

 

その優太君も好きなんだけど、なんていうか、彼の周りにいる友達や同級生も好きだったんですよね。

 

 

だから今思えば、あこがれと恋心が同居して、恋っていうより、自分にない輝きに恋していた感じだったのかな。みんなの中心で、笑顔で、運動もできて、社交的で、声も顔もかわいらしくて。

 

 

高校一年生は今でも思う、人生で一番楽しかった。勉強はできなかったし、片思いだったけど、席が前後になったときなんかは舞い上がって一番成績落とした。優太君が前の席だったんだけど、そのとき唯一得意だった国語と英語のときなんかは、こっちを振り向いて「答え教えて」とか「あとでノート貸して」ってあってさ、幸せだったよ。中間テストのときなんかはずっと二人で話してた。

 

 

普通に別の友達もいて、課外後はずっとしゃべってたし、人間関係が一番穏やかだったんじゃないかな。

 

 

でも文理選択で僕が集める係になって、僕は文系だったんだけど、優太君は友達優先して理系に行くのが偶然わかって、すごく寂しかった。あと三か月しか一緒にいられないんだってなって。

 

 

そこから席替えがあってまた離れ離れになって、そのまま一年生は終わった。

 

 

友達全員理系に行ってしまったから、二年生と三年生はどう過ごしたか全く覚えてない。

 

 

追試や赤点なかったから、必要最低限の勉強はしてたと思うけど、友達と約束して学校で勉強なんてしなかったな。

 

 

なぜか離れた理系クラスの数人とはたまたま友達になったのかな、学園祭とか修学旅行では一緒に過ごしていたから、ほんと最低限のコミュはあったと思う。

 

 

中学からの同級生で、翔太君っていう小柄で童顔でぽっちゃりのかわいい同級生がいたんだけど、ゲイ的な目線というよりか、そのみためでどちらかというとショタコンセンサーのほうで好きだった子がいたけど、なんともなかったな。緊張で話せないとかもなかったし、普通にいい友達で終わった気がする。

 

 

僕自身が友達付き合いうまいほうではなかったから、進級やクラス替え、進学でどんどん友達ができては同じ数減っていきって感じで今では全く影も形もない。

 

 

そうこうしているうちに大学受験がやってきて、みごとぼろぼろの成績でどこにも進学できなかった。

 

 

でもその時には、大学なんてどうでもいいと思ってた。補習科に行くのだって、行けるから、という理由だったし、行けてもいけなくても別にいいって。

 

 

母が毒親だったから、昔から友達付き合いに首突っ込んできては、気に入らないと友達の親に電話して、関係を持たないように言ってたり、健康セミナーにまはっては放課後すぐに集まりにつれていかれ、出汁に使われたし。

 

 

言ったように、僕自身も友達付き合いをしてこなかったから、それが当たり前と思っていたし、休みの日に友達と遊ぶ重要性を全く理解していなかった。今でもそうだと思う。つまらない人間だったはず。

 

 

補習科に入るのにも試験突破とお金がいるから、それは何とかなった。試験は得意な範囲がたまたま出たし、入学金20万で、年間授業料と模試代金がタダだったからね。今思えば最後の子奉公だったのかな。

 

 

三年生のセンター試験の時に母が入院し、高校が大学二次試験の喧騒を増していく中、補習科に舵を切っていた僕は無事浪人ともう一年遊べるドンを獲得。

 

 

そして補習科に、優太君とその友達ご一行が入ってくることを知り、一気にバラ色の未来を感じ取りました。

 

 

けどその時には完全に一年の陰りもなくコミュ障だったので、また目で追うだけの日々でした。

 

 

そして来る8月、母が半年の闘病むなしく急逝。喪主中心に葬儀関係をワンオペ、疲れ切ってしまいました。

 

 

でもね、ショックではなかった。むしろうすうす感じていた毒親の精神支配からやっと解放されるという気持ちのほうが大きかった。

 

 

同級生や先生は気を使っていたけど、僕にはいまは優太君たちがいるし、全然寂しくなかった。

 

 

でも補習科でもある宿泊学習にはあまり乗り気ではなかった。将来勉強する意味も感じなくなって、権利はあるのに努力しようとは思わなかった。

 

 

先生から強く言われ、しぶしぶ参加した。

 

 

三日間あった宿泊学習、10回近くの席替えがあった。リフレッシュと緊張感を持つためだったと思うけど、そこでも優太君と確か3分の1は一緒になった。しかも今度は前後ではなく隣に。

 

 

その時には僕は国語、英語、倫理、生物が得意だったから、オリジナルの勉強方法を優太君に話したり、いろんな参考書を貸し借りする仲になった。宿泊学習館の仲だったけどね。

 

 

僕もそのころには、母が亡くなって、しっかりしなきゃと思ってたから、恥ずかしがっている暇はないと思って、勇気をもって話したことのない同級生や、優太君たちに頑張って話しかけてた。

 

 

一員にはなれなくても、憧れと恋心の近いトコロには居たかった。

 

 

そうして季節は過ぎ、僕も母がいない生活を受け入れ始め、最初の年越しがやってきた。

 

 

その1か月前から、優太君は学校に来なくなった。当時は何か理由があって、というか、僕がアピールしすぎて、学校に来るのが嫌になっていたのかなって悶々としたけど、それで9か月を不意にするだろうかと今では思える。多分だけど、飲酒かたばこが見つかって、出席停止になっていたんじゃないかなって思う。じゃなきゃセンター試験だけ出席するとかないと思うからね。

 

 

で、年越しの前、優太君の仲のいい友達からメルアド教えてもらって、おけおめメールを送った。

 

 

すごくドキドキして、不安になって、手が震えて、怖くなって。

 

 

でもその時だけ、ちゃんと1通返ってきた。

 

 

もううれしくて、何度も何度も見返した。そっけない文章だったけど、うれしかった。

 

 

そのメールは今でも大切に、とはいかなかった。

 

 

僕はセンター試験で十分な点が取れているとわかるや否や、緊張の糸がほぐれて、怠惰になった。

 

 

あとはなぜか最初から得意だった小論文だけの課題だったので、学校に行く意味も感じず、部屋に引きこもった。

 

 

ポケモンしながら、この時に特撮にはまった。それまでも、ティガとネクサスを観ていたはずなのに、特撮を観ているって頭じゃなかった。

 

 

アクション映画が観たくて蔦屋に行ったけど、ピンとくるものはなくて、じゃあ同じアクションシーンがある、長く楽しめそうな作品として特撮を選び、見事にはまった。

 

 

そして優太君と会わないまま、補習科の卒業式にも出席せず、高校生活+一年間は終わった。

 

 

紆余曲折あったけど、看護大学に進学し、たぶん、もう会うこともないだろうと思って、お正月に届いたメールも消した、アドレスも削除した。自分なりに前に進もうとした行動だった。

 

 

でもより一層、思いが募るだけだった。

 

 

そのあとにたまたまフェイスブックでメッセージを送り、半年あいだが空いて、友達申請受理を知ったとき、看護実習に追われそれどころではなかったけど、何気に送ったら、そこから意外とメッセージのやり取りが続いてさ。

 

 

そして、告白した。

 

 

ネット上での告白はしたくなかったけど、会えないし、今言わなかったら、きっといつまでも言えないと思っていたから。

 

 

結果はフラれた。びっくりしたって。いい友達ってことに、僕も優太君もその時はしたかったんだと思う。

 

 

それからは疎遠になり、今ではまったく連絡も取り合ってない。フェイスブックの投稿に、結婚しましたと同時に娘ちゃんの写真があったから、たぶんデキ婚。

 

 

あの優太君が、裸になってセックスしたんだと思ったら、すこし背徳的な気分になったけど、もう幸せが別のところにあるんだなって思ったら、何もできなかった。

 

 

優太君も隣の市の福祉系大学に進学したらしいけど、中退したらしい。いまではノンキャリアの警察官様。

 

 

頼ることも頼られることも、頭の片隅に一瞬も映らないだろうけど、それでも、それでも僕は彼を好きであり続けると思う。

 

 

彼に恥ずかしくない大人になること、それが僕の生きる目標であり、支えであり、すべてだから。

 

 

2度と会わなくても、意識を向けられることもなくてもいい。

 

 

死んだあと、何かの間違いで、あの世で会う時に、僕はこういう大人になったよって言って、すごいねって、そういわれる人生を送りたい。

 

 

今は間違いだらけで、言えないようなことも抱えているけど、しっかり大人になりたい。

 

 

肩を並べてもいい、おかしくないくらいに。

 

 

離れた位置だけど、同じ肩の高さを感じられる場所に立ちたい。

 

 

今はそれがすべてです。

 

 

こういうのは5chに投稿したほうがいいんだろうけど、備忘録として、もう一度振り返りたかったので、ここにこうして記します。

 

 

読んでくださってありがとう、久しぶりの長文になりました。

 

 

キーボードが僕のタイピング技術と合ってないので、結構書き直しました。

 

 

優太君、僕、ちゃんと大人になって、いつか、あなたに逢いに行きます。